亀田史郎氏の暴言問題で所属ジムが活動停止となったことにより、亀田3兄弟が別々のジムで練習する方向で調整を始めているという。東日本協会によると「3人まとめてだと受け入れ先のジムに迷惑がかかる。3人にとっていろいろ経験にもなると思う」がその理由だ。父親の責任は別として、あの仲の良い3兄弟が切り離されるのかと思うと、なんだかドラマを見ているような気分になる。
昨年の11月、亀田興毅選手が内藤大助選手との世界戦を控えた1週間前に、亀田ジムを見学させて戴いた。亀有の駅からタクシーで10分ほど、下町の路地裏にある古びた一軒屋は1階がジム、2階が住居という質素な建物だった。目立つのはドーベルマンの檻だけで、その横には兄弟の洗濯物が沢山吊るしてあり、靴を脱ぐ玄関口も小さなスペースである。
スパークリングを終えた興毅選手は、骨と筋肉だけの細い身体。それでも減量のためにストーブを何個も焚いた小部屋に篭る。フードを頭から被り、汗だくで出てきてはストレッチをしてまた小部屋へ。試合前でイライラしていると聞いていたが、客人には深々と頭を下げる礼儀正しさに驚いた。
リング内で調整をする大毅選手・和毅選手も、顔が合うたびにニコニコと笑って「こんにちは」と挨拶。テレビで見せる強面はマスコミ用の仮面なのかも知れず、心は年齢相応の可愛い青年たちだった。
父親の史郎氏には会えなかったが、息子たちを訪ねて海外から来たお客様をもてなすために、2階のキッチンで料理に奮闘中という。兄弟の3度の食事はもちろん家事全般をこなし、親戚の男の子も加えた大ファミリーの生活を1人で切り盛りしていると聞いた。
まるで父子家庭版『ひとつ屋根の下』。名札の下に貼った座右の銘10ヵ条で、先頭に書かれた「夢を持て」が、これから離れ離れになる兄弟たちを繋いでいくのだろうか。失ったものは大きくても、若いうちの試練は実を結ぶ。今度こそ素の姿で、青春の勝利を得て欲しいと願っている。
コメント
ゆり子さん、亀田ファミリーの実情が、どこまでの仮面舞踏会なのか、面白いと感じています。
江戸時代から渡世人や香具師などの世界が面倒見良く、外部には一致結束して防御して、罵詈雑言を吐き続けることは、近現代も同じでしょう。
特に排他的な某宗教法人などは、異端審問をせず、即時に裏切り者への悪口雑言を数段内部で繰り返し、目くそ鼻くそを声高に唱える。
こんな雰囲気を亀田家族のマスメディア登場から感じ、不愉快故に無視してきました。美談と思える要素はあれど、すべてが本末転倒であれば話題にもなりませんね。
ボクシングを強者礼賛、スポーツの筈なのに暴力礼賛的に大衆に訴えるアナクロニズム。これって家族団らんとはつながらないのでは?
濱千鳥様
生まれや育ちによって、人間は感情表現の方法が異ります。例えば怒りという感情を暴力によって表現する人もいれば、巧みな知恵と話術を使って相手を滅ぼす人もいます。前者がなぜインテリジェンスに欠け、バイオレンスしか持ち得なかったのかは、本人の実像を知らずして、マスコミが膨らませた虚像だけを見てコメントできるものではないと思っています。
喰うや喰わずでサバイバルする野生の動物は、子を守り、生き残り手段を教える本能が群を抜いています。社会的適応能力の有無は別として、亀田家の父が子供たちに自活できる才能と能力を与えたことに関しては、ニートや引きこもりを養い続ける親よりも、子育ての本能が強いと思うのです。
次は野生のままでいる亀田兄弟に、誰が社会性を教えるかでしょうね。貧しさが原因で親に虐待されている子供たちに比べたら、彼らは親の愛情を貰って育った分、心の許容範囲も広いのではないでしょうか。
亀田家の野性的な心の繋がりは感じとれます。
マスコミはいい所は削除、悪い所だけを強調するものだし。
人も物も、見方ってありますよね。
表があれば裏もある
ゆり子さんはきっと裏の亀田家を知る方なんでしょうね。
きっと亀田家の父は素直に感情のまま生きてた方のように思います。
ただ大人じゃないと世間には受け入れられないと思うけど。
変に賢い生き方する大人より私は好きです。
門外漢ですので、箱庭の風景を楽しめず失礼しました。
素朴さと粗暴さが、ほどよく混じるのが嬉しいと思いますが….
猫太郎様
小さな漁港の町に住むようになって、いろんな階層の人たちと触れ合うようになりました。口は悪く暴力沙汰を起こす人間もいますが、どんなに近寄り難い人たちでも、話してみなければ本質は分かりません。知識武装して上から見下すホワイトカラーよりは、裏表がないだけ付き合いが楽かなと思います。
でも、不器用な彼らが東京に出たら白い目で見られるのは確実。人口の多い場所では残念ながら人は見た目ですし、心の中までは誰も見てくれませんからね。