昨夜は三日月と金星がランデブー。絵に描いたような天体アートを見上げながら、同じ構図を見た遠い記憶が蘇ってきた。それは1988年3月13日の青函連絡船。函館発青森行きの羊蹄丸のデッキから見上げた宵の空である。
仕事で北海道に滞在していた恋人を後から追いかけて、札幌市内のホテルに1泊。肌寒い真駒内公園を手を繋いで歩き、ラーメン横丁で適当な店に入るという短いデートだったが、いちばんの目的は他にあった。最後の青函連絡船に乗って青森まで海を渡り、夜行列車で東京へ帰る旅をすることだった。
乗船まで時間のある寂れた食堂。どんぶり一杯のイカそうめんを食べ、瓶ビールでほろ酔い加減の私たちは、初体験の青函連絡船に大はしゃぎ。どっぷんどっぷんと船体に当たる波、潮風に混じるオイルの匂い、寡黙な乗客たち・・、まるで演歌の世界に逃避行するみたいなお膳立てが全て揃っていた。
デッキに立ち、澄んだ群青色の夜空を指差して、同時に口に出たのは「月星シューズ!」
運動靴の紙箱にプリントされていた三日月と星のロゴマークがそのまま空に浮かんでいたのだ。
津軽海峡を渡る約4時間、大はしゃぎは止まらない。売店でワンカップの日本酒を買い、絨毯敷きの普通船室で酒盛りする私たちに、周りのおじさんたちが加わってくる。誰かが音外れの民謡を歌い、やんやの拍手をし、よく聞き取れない方言を真似て笑って、またワンカップが空く。
やがて船は深夜に青森桟橋へ着岸した。青森駅ホーム2番線への暗くて長い通路を歩いていくと、隣にいたはずの彼がいない。振り向けば、酔いを隠してシャキシャキ歩く私の後姿を、後ろからおどけて眺めていた。そして急に真顔になって提案する。
「ねえ、もう一泊しようか」
首を横に振った私は彼の手をひいて、特急ゆうづるの椅子席を探した。寝台車でないのは並んで座るためだ。9時間半を乗るにはシートが硬かったけれど、もたれる肩は懐かしくて柔らかい。目を閉じても意識は目覚めたまま、列車は通勤ラッシュ時の上野駅に到着した。そのままホームで握手して、目と目を見て、通勤客に紛れていく背中を見送った。
別れたあとで、私はいつも律儀な性格を後悔する。仕事の約束なんか放り出して、どうしてあの時「うん」と言わなかったんだろう。最後の短い船旅から22年。恋人たちは二度と会えなくても、三日月と金星は今年も同じ夜空に寄り添っている。
コメント
なんだか、とてもドキドキする日記ですね。
昔の恋を思い出しました。
主人に出会う前、とても大好きな彼がいました。私にとって二度目の恋。
長男だったので、結婚を諦めて別れてしまいました。
胸の奥に大事にしまっていますが、今でも好きだと思います。
辛いことがあると、「なぜ、私はお嫁に行ってもいいと言わなかったのかな・・・」と考えたこともありました。
まぁ、今となっては良い思い出ですが。
今、考えるとやはり「あの頃は若かった」と思います。
年齢だけの事でなく、精神的にも・・・。
いくつかの恋をしましたが、会える限り会い、キスしたいだけした・・・ってとこでしたね(笑)
バイクで北海道向かって乗った青函連絡船が、廃止直前でした。
エンジン音と波切り音、油の匂い、鉄板の廊下に新聞を引いて寝ていましたが。
鏡筆
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marie様
過ぎた時間は戻ってこないのに、当時をリフレインさせる景色や事柄で、ふと感傷的になることってありますよね。不思議なのは、好きなのに別れてしまった理由が思い出せないこと。人の運命のレールは定められているのでしょうか。
的は逗子の素浪人様
片岡義男の世界みたいですね。
時間のかかる乗り物が消えていくのは、ロマンも一緒に消えていくような気がします。
あれは金星だったんですね。
高速をとばして家路をいそいでいたところ、ふっと目にはいった月がいつもと違うので、あれ?変な三日月と思いながら目を凝らすと、、上に星が乗っかっていた。
あんな月は初めてでしたが、Yuriさんはこんな思い出があるんですね。 切ないですが恋愛完結編みたいなストーリよりも、さよならも言わないで別れた方が氷山の下の部分みたいに深く心に残っていて、ふっとしたきっかけで出てくるんですよね。
私の場合は、食べ物で思いだす、、なんて場合が多いのですよ。
ベリタリア様
私の氷山の下は、お酒がきっかけで思い出すことが多いかな。まだ冷えてないのにコルクを抜いて飲んだ白ワインから、深夜に密会した彼の吐息を思い出したり・・。映像だけでなく、香りもずっと記憶に残っているものなのですね。