記憶から消える大切なもの

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昨晩遅く帰宅すると、家の前に異変が起きていた。ノウゼンカズラの木が根元から倒れている。鮮やかな橙色の花を毎夏咲かせ、我が家の2階のベランダまで届くほど大きく成長していたのに、何があったのだろう。突風が吹いたわけでもなく、いったいどんなふうに倒れたのか、誰も知らない深夜の出来事だった。

倒れたノウゼンカズラ1 倒れたノウゼンカズラ2

 

木の根っ子が痛むように、知らず知らずゆっくりと侵されていくこと。先日、老人ホームにいる父を見舞った時もショッキングな出来事があった。スタッフの介助を受け、車椅子からベッドに横になる間、父は私の顔をジーッと不思議そうに見ている。
「すみません、どちら様ですか?」
ついにこの時が来たかと思う質問を、娘に向かって投げかけた。

 

しばらくして私の名前を思い出し、「ネギトロ巻は持ってきたか?」の催促も復活したが、喜ばせるために好物を持参することは出来ない。固形物を食べると誤嚥して、高熱を発し肺炎を起こすので、食事は完全なペースト食になってしまったからだ。それでも胃ろうチューブに比べたら、自分の手でスプーンを口に運び、食べ物の味を感じることが出来るぶん幸せだ。

 

飲み物に関してはもっと厳しい。トロミをつけていないお茶やジュースを飲むと、ゲホゲホと顔を真っ赤にしてむせ、やはり嚥下性肺炎に繋がる。
「好きなものを飲ませてあげたいけれど、熱が出れば一番辛いのはご本人ですから」と、スタッフはあえて心を鬼にする。しかし継母の隠れ持ち込みは相変わらずで、なんと缶ビールまで持ち込んでいたらしい。
「命取りですからダメです」とストップをかけると、「気のきかない意地悪な施設だ」と批難。その横で父は「ネギトロ巻もっとちょうだい」と、口をモグモグさせている。

 

美味しいものを持ってきてくれる継母は良い人。それを止めようとする娘は知らない人。この開きはますます大きくなるのだろう。

昨晩倒れたノウゼンカズラは葉も萎れ、撤去されるのを待っている。ぽっかりと出来た淋しい空間。ベランダから見えた橙色の花は、もう思い出の中にしか咲いていない。

コメント

  1. marie より:

    それにしても、継母さんの行動はすごいですね。
    歳を取っても愛する男性の為に好きな物を運ぶ。
    やはり死ぬまで「女」なんでしょうね。
    「女」と言うか言う事を聞くのは母性でもありますよね。

  2. しのぶ より:

    お父様のことは、悲しい出来事でしたね。

    こうやって、ひとつずつあきらめながらお別れをしていくのでしょうね。お互いに。

  3. yuris22 より:

    marie様

    実母と私に、昼夜問わずの嫌がらせをしていたのを思うと、女の執念を感じます。実母は疲れ果てて妻の座を彼女に譲りましたが、嫌がらせはその後、私を対象に続きました。理性のない人には、法律家を間に入れて対処していくしかないのかもしれません。

  4. yuris22 より:

    しのぶ様

    慰めの言葉をかけながら、上っ面のことしか言えない自分がまるで偽善者のようです。「生きていたって、つまらないよね」が本心であっても、お互いに黙っている。自分の番が来た時には、寝たきりの長生きだけはしたくないと思います。介護する人、される人、どちらも切ないですからね。

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