日曜日の夕げに

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ファミリーカーを追い越して、1人で車を走らせる日曜日の午後。
父が入所している介護施設に、年間ケアプランの説明を受けに行った。
3月11日の記事「親が子供になる日」に書いた通り、父は3年前に脳出血で倒れ、半身不随の生活を送っている。

 

日々のケアへの要望。
本人からは「淋しい思いをする事なく、穏やかに生活したい」。
一人娘の私からは「少しでも出来ることは自分で出来るようになってほしい」と「寝たきりになることなく意欲ある生活を送ってほしい」をお願いしている。

 

この1年間でのケアプラン評価で、目に付いたのは心理面だった。
「入居当初よりは落ち着いた面もあるが、日中、夜間問わず、スタッフの名を呼び続ける様子が見られる。今後もスタッフとの関わりの中で、ストレスが軽減できる生活について本人と話し合いながら適宜改善をしていく」と書かれていた。

「元気な頃から、実は淋しがりやだったんです」
「そうですよね。ご本人もそうおっしゃってます」
ケアマネージャーと顔を見合わせて苦笑した。

 

面談が終わり、車椅子に座って積み木パズルをしている父の横に座る。
夕食が終わるまで傍にいることを約束すると、スタッフに私を紹介したいからと皆の名を呼びまくった。
彼らとはもう何十回も会っているのに「娘です」と引き合わせるのが嬉しいらしい。

 

やがて窓の外が薄墨色になり、夕食の時間。
父のテーブルには、1人では食事が出来ない方々が3人、介護士が1人座る。
「私、食べるの嫌なの」とイヤイヤをするMさん。半分眠りながら口をモグモグするKさん。宙を見つめてスプーンを待っているSさん。
父は自分で食べることは出来るけど、早食いで喉につまらせるので監視の目が必要だ。

 

この4人とも、かつて日曜日の夕げは、家族でテーブルを囲んでいたんだろう。
テレビからはサザエさんやニュースが流れ、大皿に盛った料理を皆でつついていたんだろう。
「あら、美味しそうな空揚げね」「野菜も食べなくちゃダメよ」
団らんと呼ぶには静かすぎる、生きていくための食事の場がいたたまれなくて、わざと賑やかな声を出してみた。

「今日はありがとね」
何度も繰り返した帰り際の父の声が、今も耳に切ない。

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