65年目の終戦記念日がやってきた。それと同時にお盆の中日。鎌倉霊園にある祖父母のお墓にお参りに行くと、2人が生きていたころの夏の食卓を思い出す。
七里ヶ浜に住んでいた高校時代、両親は週末しか家に帰らないので、ほとんど祖父母と私との3人暮らしだった。夕焼けを背にして塾の夏期講習から戻ると、台所の窓から食欲をそそる匂い。ジャガイモ、人参、玉ねぎ、豚小間が入った具沢山のカレーは祖父の大好物で、週に2回は登場したと思う。
焼酎の水割りをたしなむ祖父母の肴は、キャベツとキュウリの小さなサラダとカレー。ご飯をよそう前にまずは1皿、肴として食べる慎ましさを当たり前としていた。
高校野球でひいきのチームが勝ち進んだことに上機嫌な祖父は、ティーンエイジの選手たちを見て心が青春時代へ戻る。「わしがあれぐらいの年頃は・・」を出だしに、耳がタコになった戦争の話を始めるのだ。日中戦争と太平洋戦争、2つの戦争に渡って陸軍にいた祖父にとって、ほろ酔い加減で孫に語る武勇伝は、まるで弁士の漫談のように型が決まったストーリーだった。
「わしの身体には、弾が2~3発残っているんじゃ」と強者自慢をする横で、祖母は戦時中にどれほど貧しい生活をしたかを語る。カレーのジャガイモを見ながら「あの頃は芋の茎だって手に入らないことがあった」と涙ぐみ、「今のお前たちは幸せだ」とカレーのお代わりを私に勧める。起承転結まで語り尽くさないと食事は終わらず、乗っている話を遮ることもできず、早くプロ野球中継が始まる時間になって欲しいと時計を睨んでいたものだ。
祖父母が眠るお墓に花を供えて手を合わせれば、あの頃と同じ入道雲の空。記憶に刷り込まれたのか、2人の顔と声はカレーを食べる食卓で年齢が止まっている。
もっと真剣に耳を傾けてあげれば良かった。少なくとも私が覚えている話を次は誰に語り継ごうか。思い浮かぶ相手がいなくて、こうしてブログにわずかな断片を綴るのみの終戦記念日である。
コメント
この時期、親父やおばあさんおじさんからいろいろ聞かされます。もちろん毎年の話です。
でも、それを聞くのが子供たちの役目ですよね。
亡くなれば、もうその話は墓石からは聞けませんからね。
年長者の言葉に耳を傾けず、自己主張は誰より偉い若者たちが増えたように思います。どこで身につけた価値観の尺度なのか、彼らに育てられた子供が末恐ろしくてなりません。
ソドムの市みたいな世の中から離れ、早く墓石の下に逃げこみたい気もします。