確定申告の時期が近づいて、印税や原稿料など平成22年度の支払調書が郵送されてくる。私が文筆業で報酬を得るようになったのは、離婚した20代後半だったが、源泉徴収される身分イコール、やっと一人前になった気分だった。
生まれて初めて書いた放送台本は、当時は新宿にあったTOKYO FMの番組。森山良子さんの『東急ミュージックプラザ』という音楽ラジオドラマで、原稿用紙4枚ほどのスクリプトの中に、レコード室で選んだ曲を散りばめて構成していく。週1回30分の番組とは言え、何本分か録り溜めをするので、締め切り前には徹夜することもしばしばだった。
ギャラは確か、1原稿2万円。それだけでは生活できない額だったが、幸いにも担当番組の数は増えていった。ピーク時には月-金のベルト番組も引き受け、テレビとラジオで6~7本の番組を抱えていたと思う。並行して作詞、ステージ構成、ミュージカルの脚本、映画評論など、スタジオと自宅を行き来しながら書きまくった。各社から送られてくる支払調書は山となったが、30代半ばに過労による急性腎炎で倒れ、それから先の道は狭まる。
いったい当時のギャラを何に使ったのだろう。入れば入るだけ遊興費やブランド品に注ぎ込み、クローゼットには値札が付いたままの服が下がっていた。地道に溜めこんでおけば、悠々自適な隠居生活を送れたかもしれないのに、現実は今もあくせくと仕事する。楽になったのは、原稿用紙がパソコンに代わったぐらいのことだ。
振り返って溜息をつく私に、友人はいつも言う。
「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」だよと。
(意味:どんなに偉くなろうと人間が必要とするスペースは、起きて半畳分、寝ても一畳分。天下人になっても一度に食べるのは、お米二合半が限度である)
そうだよね。昔取った杵柄はお飾りで、大切なのは雨露しのいで今を生きているかどうかだ。たった一通の支払調書に小躍りした頃から見れば、今はバブリーじゃなくても十二分に幸せだ。少なくとも今夜眠れる畳はあるぞ!
金曜日の午後。あと数時間仕事したら、一杯のビールを飲みに出かけよう。収入は減ろうとコイン一枚の価値については、昔よりも百倍知っている自分がここにいる。
コメント
まったくその通りですね。起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。そのくらいの気持ちだと、いろんなものが幸せに感じられますよね。貧乏くさいという人もいるかもしれないけど、幸せならいいじゃない。原稿書きで徹夜できるなんて幸せですよね。ちなみに小生昨日も徹夜でしたが・・・(^^ゞ ところで、最近少食の私には一合だってムリ~。
たけぞう様
私もご飯はお茶碗一杯分を、昼間に食べるだけです。朝はバナナとヨーグルト、夜は魚と野菜。
でもワインだったら一日一本、確実に飲めるんですけどね。
ちなみに銘柄にはこだわらず、辛口の赤で酸味が少ないのであれば、安いほど嬉しいです。
「立って半畳、寝て一畳、アソコは勃っても数インチと、あるホステスの方が言っていた言葉があります。
キレイな洋服、新車、バッグ、靴、イイ男(笑)・・・と見れば見るほど、聞けば聞くほど欲しくなるのが人間ですよね。
けれども、人は最低限の洋服、物と食べ物があれば生きてゆけます。
洋服も自分の着る物って決まってくるので、洗い替え程度に有ればいいものですよね。
なのに、欲しくなるんです(笑)
そして、お蔵入り・・・となるものがチラホラ
最近になって思うのが、洋服や物はケチっても食べ物はケチるものでないような気がします。
仕事して帰って来たらおいしいものを食べたいですよね?
もちろん、体を考えたヘルシーなものも取り入れて、
心への栄養も大切です。
marie様
確かに、食べるものはケチりたくありませんね。
人間の一生で食事の回数は決まっているのですから、たとえダイエットするにしても、美味しいもの・選び抜いたものを口に入れたいと思います。それが心の栄養になりますものね。