高齢者夫婦の絆と死と

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ケーキ屋で綺麗にデコレーションされたプリンやゼリーを見つけると、父の見舞いに行かなくてはと思う。誤嚥防止のためペースト食しか許されていない父に、老人ホームの味気ないおやつよりは、見た目豪華なスイーツで喜ばせたいと思うからだ。

 

小さなケーキ箱を持って、午後3時前に老人ホームに到着。スタッフは私の後を追いかけ「あの、あの、今○○さんがいらしてて・・」と対応に困っている。居室のドアを開けると、ギョッとした顔の継母とバッティング。なぜバッティングという言葉を使うかは、昨年1月29日の日記「人生の別れと出発点」に理由を書いた。父の愛人であった継母と、実娘の私との間には長年の深い溝がある。

 

もぐもぐと口を動かす父の横で、継母はお寿司の包みを慌ててビニール袋に押し込んでいる。そこにはバナナの皮やプリンのカップやらの残骸がいっぱい。隠して持ち込む量は前よりもいっそう増えたようだ。

 

私に気付いた父は「何、持ってきた?」と、子ツバメのように口を開けた。ケーキ箱を冷蔵庫にしまうのを見て「食べる、食べる」とせがみ続け、スタッフには呼び出しブザーで3時のおやつまで要求する。きかん坊の幼児が愛おしくてたまらないといった様子で、継母はまた父の口に食べ物を詰め込んでいく。そんな二人が肩を寄せ合う空間にいると、父に要介護者の認定が下りた頃の出来事を思い出した。

 

2004年9月だったと思うが、「ずっと一緒にいたかった」という連名の遺書を残して心中した老夫婦のニュースが話題になった。足が悪く車椅子生活の夫。持病の喘息が悪化して、夫の介護が出来なくなった妻。特養に入所した夫が、10日間の一時帰宅をした最終日に悲劇は起きた。ひっそりと20年間暮らしてきた大田区の都営団地で、二人は睡眠薬を飲んで命を絶ったのである。

 

日本がバブル期だった頃の高齢人口比率は、総人口の1/10程度だった。それが今や1/5で、あと20年もすれば日本人の1/3が高齢者になる。未来の経済力確保のため、国が子どもたちへの手当を厚くするのは仕方ないかもしれないが、お金をかけなくても高齢者に対して出来ることが何かないのか。悲観論者に対する心のケア。うつ状態からの救済。二言目には「死」を口にする高齢者たちは、自宅であろうと施設であろうと、既に姥捨て山にいる。

 

父が施設に入った時、「私はこの人を死ぬまで面倒見る」と言い張った継母は、「私が死ぬ時には連れて行く」と決意したのかもしれない。そんな二人の絆の間には入れず、規則を破っても黙認することだけが、親不孝娘の小さな償いである。

コメント

  1. marie より:

    なんとも考えさせられてしまう内容ですね。
    私の家には定年過ぎた叔父と祖父が同居している。
    祖父は職人で左官をやっているので、まだまだ足腰も丈夫で、叔父や私の夫の愚痴をよくいっている。
    あまりにも続くとうざくもなるが、元気な証拠だと最近では思うようにしている。
    人間はどうしたって年をとるもの。
    介護が必要になったら家族が面倒をみるのが当然となってくるけれど、そこにも様々な問題が生じてきますよね。
    働きながら面倒をみるか、無理なら退職をするしかなくなる。
    金銭的にも精神的にも負担が大きくなりますね。
    いつか自分が介護をする立場になった時に周囲の家族は(夫は息?息子は?)協力をしてくれるのだろうか・・・?
    今までの家庭内トラブルを考えると夫は全く協力をしてくれるかが不安である。
    (夫は叔父とも祖父ともそりが合わない)
    そもそも他人なら自分の親しか面倒は見たくないのが正直なところだと思う。
    介護、嫁姑、婿と舅は永遠に解決の糸口が見付かりにくいものなのかもしれません。

  2. yuris22 より:

    marie様

    一緒に暮らす家族内で疑心暗鬼になるのは、国の社会保障制度が未熟なせいでしょう。寿命が延びれば、年老いた親を介護する側だって老人になる。先細っていく国の政策は、加速度を増す高齢化に追い付けるわけがありません。
    今の世の中、お金を持っている人しか生きられないのか、だとしても予算の使い道は政党が一つになれば、幾らでも修正がきくと思うんですけどね。

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