生きる力を残す高齢者介護

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パワースポットとは違うけれど、行くたびに心が洗われる場所がある。それは父がお世話になっている介護施設だ。12年前に脳出血で半身麻痺となり、高次脳機能障害に今では老人性の呆けも加わった父は、川崎市の老人ホームに入居して10年になった。

20160506
「お父さんは優しい方で、他の入居者が暴言を吐いても決して怒らないんですよ。握手して、ありがとうと何度も言ってくれるんです。おかげでフロアが明るくなります」
終の住処として高齢者を受け入れるこの施設では、スタッフの言葉や表情に愛情が溢れる。現役のころはワガママで嫌われ者だった父が、誰より円満な性格に変わったのは、家族のように接してくれるスタッフのおかげだ。一人暮らしをしている私の健康状態まで把握して、父への心配事で気苦労しないように対処してくれる。

しかし命の時間が進めば、予想していた覚悟のときが訪れる。食物の嚥下が難しくなった父はむせて咳き込み、食後には口腔内の吸引が欠かせなくなった。病院で造影剤検査を行った結果は思わしくなく、誤嚥性肺炎や窒息を起こすリスクが高いと告げられたのである。

緊急事態の際にどう対処するか、今のうちに必要なのは施設側と家族側のコンセンサス。医師と看護師、フロア責任者、介護担当者を交えた面談で出た結論は、自然の成り行きに任せることだった。明日もし窒息死を起こす事態が起きても、病院に担ぎ込んでチューブだらけになる延命治療は行わず、終の住処で最期の時を迎えられるようにお願いした。

食事を中止して、胃ろうに切り替えれば長生き出来るかもしれない。しかし頭の9割が食事で占められている父にとって、食べることが生きる力だ。寝たきりで天井だけ見ている余生は残酷でしかないだろうし、自分だったらして欲しくないことを親に強要はできない。

数十分の面談が終わり、ランチタイムに入ったフロア。窓辺のテーブルで、父が食事をしている様子を見に行った。トレーに並んだ器に入っているのは、八宝菜、餃子、中華風スープ、ご飯が絵具みたいなペースト状になったもの。「おいしい、おいしい」とスプーンで口に運ぶ手つきはしっかりして、昔のようにビニールのエプロンにこぼすことは殆どない。それほど食に貪欲なのだ。

同じテーブルを囲んでいるのは一人では食事できない入居者たちで、スタッフが食べさせている間に眠ってしまうほど食欲が薄い。そこへ停滞した空気を動かしたのは、食べ物にむせた父のウオッホーン!という大きな咳払い。みんな驚いて目を覚まし、泣き出す者、笑う者、再び食べ出す者、何にせよテーブルには活気が戻った。

「ゆっくり、ゆっくり」
自分に言い聞かせながら、僅かに残ったペーストの一匙まで口に運んでいる父は、大喰らいと早食いの癖は昔のまま。喉が細り、これが仮に2時間かかったとしても、起きている時間を食事に費やせるなら最高の幸せに違いない。

もし私だったら、最後まで残る「生きる力」とは何だろう。大型連休最後の日曜日、スマホで流し見るフェイスブックには、それぞれの人生を楽しむ友人たちが満足げに笑っている。

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