人生最後の日を迎えるまでの生き方

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爽やかな晴天に恵まれた連休の初日。友人たちとゴルフのショートコースを回った帰りに、父が入居している介護施設から携帯に連絡が入った。39度の高熱が出て、弱っている様子なので救急車で病院に搬送するという。83歳で要介護度5、身体障害1級の身では、いつ何が起きてもおかしくない。施設からの電話が鳴るたびにいつもドキリとさせられていたが、とうとう来るべき時が来たかと、自宅で車を乗り換えて病院へ急いだ。

 

同じ神奈川県なのに逗子から登戸までは遠い。行楽帰りの車で渋滞し、カーナビの到着時刻はどんどん延びていく。電話を貰ってから2時間半で救急処置室に入ると、介護施設の看護師さんが父の横に付き添っていてくれた。

 

足から点滴を入れて眠っている父は、ちょっと薄目をあけて私の顔を見て、ニッと微笑んでまた眠る。幸いにも処置が早くて肺炎にならずに済んだが、血液と尿検査の結果では白血球が多く炎症が起きているらしい。

 

入院の準備が整うまで、看護師さんと並んで座り、ポツリポツリと父の話を聴いた。
「お父さんはフロアでは人気者なんですよ。みんなを気遣って声をかけてくれて、優しくて・・。こんなこと言ってはいけないんですが、可愛い人だなあって思うんです。」
「前回入院されたときも、お父さんがいなくて寂しいねって、スタッフたちがしょんぼりしてました。」

 

父の外面の良さは未だに変わっていないらしい。元気だったころのワンマンぶりや、女性癖の悪さで家族にさんざん迷惑をかけた話をすると、看護師さんは楽しそうに笑った。
「つらいこともあったでしょうけど、それだけ人生を謳歌されたんですね。羨ましいです。私も歳を取ったら、お父様みたいな穏やかなお顔になりたいです。」

 

私が気付かない父の一面を、こうして見守ってくれている人がいることが嬉しかった。施設のアクティビティではカラオケで「新潟ブルース」を歌う声が、朗々として音程も外れないこと。起きている間はお漏らしもせずに、スタッフを呼んで必ずトイレに行くこと。食事はミキサー食になっても、震える手で自ら口に運んで食べること。高齢で身体は不自由であっても、生きる意欲のある現役の人間なのだ。

 

夜10時過ぎ、担当医からの所見を聞いたあと、電気の消えた病室を見舞った。安心しきってゴーゴーといびきをかいて眠る父の額に手を当てて、熱が下がっていることを確かめた。

 

病院を出た帰り道は、昼間の大渋滞が嘘のように解消されたけれど、スピードを出す気がしない。追い越し車線を競うのをやめて、ファミリーが乗っている軽自動車の後をのんびりと走ることにした。

 

いつかは私も車の運転すら出来なくなり、ベッドから天井ばかり見て暮らす時が来るのかもしれない。でも今ここに元気な身体があることを感謝して、責任を持った毎日を生きなくちゃ。56歳で逝去したスティーブ・ジョブズ氏が残した言葉「今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?」が、何度も頭にリフレインした。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    お父様は昭和3年ですかね,伴侶を無くした僕のオヤジと同じかも.親父はすっとんきょな昔話の繰り返しですが何とか元気です。好き勝手を一杯やって日本の高度成長のサラリーマンです。僕はこの親父をどのように送るべきか悩んでいます。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    父が全力で突っ走った高度成長期の日本が、とても生き生きした時代に思えます。頑張れば誰でも夢が叶ったんですよね。今は小さな背中になってしまったけれど、この頼もしい人がいたからこそ、私が生きていられるんだと実感します。感謝の念に堪えません。

  3. お気持ちがよくわかります。
    先日父を亡くしたばかりであり、仲違いしていた時期が恨めしいです。
    お父さんを大事にしてあげてください。

  4. yuris22 より:

    横須賀のひろ様

    お父様を亡くされたこと、心からお悔やみ申し上げます。

    親が年老いて、必ず別れの時がくるのを知っていながら、「まだ大丈夫」と思ってしまう自分を叱りたくなります。
    病院のベッドで私の顔を見る父が、何度も「涙を拭いてくれ」と言いました。娘が見守ってくれることが嬉しくて、目が真っ赤になるほど泣いているんです。こんなに愛してくれていたこと、今さらながら知りました。ほんとに親不幸娘です。

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