高齢者の生き甲斐と看取りについて

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携帯が鳴って、着信表示が父の入居している老人ホームのときはドキッとする。身体障害者1級で要介護度5の父は嚥下障害があり、食べ物が気管に入ると肺炎を起こすからだ。

 

先月末も高熱が出て入院になるかと心配したが、軽い腎盂腎炎だったので大事に至らず済んだ。適切に抗生剤を点滴してくれたのは施設に隣接している医院の先生。父の病状を熟知していて、休診日であっても様子を見にきてくれる。24時間体制でケアしてくれる看護師さんは「何年も一緒にいると家族のような存在ですから」と、向かい合う相手に真摯な思いを注ぐ。

 

それでもいつか来るべき時には備えなくてはならない。喉に通りやすいフルーツゼリーを持ってお見舞いに行った昨日は、父が入浴している間に、もしも重度化した場合の対応についての説明を伺った。再確認を行ったのは看取りについての意向。終末期を迎えたときに延命措置をしないことである。もしも口から食べ物を摂ることが出来なくなったときは、胃ろう(お腹に穴をあけてチューブを胃に差し込み、栄養を送ること)だけはして欲しくないとお願いした。

 

元気なころは美食家で大食漢、早食いだった父だけに、要求するのは食べ物のことばかり。5分前に食事したことも忘れ、私の顔を見た途端に「お腹がすいた。何か持ってきたか」を繰り返す。誤嚥を防ぐために朝昼晩ペースト食になってしまったけれど、ブルブル震える手でスプーンを口へ運ぶ動作には食べる喜びが見て取れる。だからこそ胃ろうで延命することは、父の生き甲斐を奪い去ってしまうことに思えるのだ。

 

「入居者とそのご家族のうち、8割の皆さんが施設内での看取りを希望しておいでです。治療のために救急車で病院へ運ばれる方もいらっしゃいますが、6割の方はここで最期を迎えられます。」
看護師さんの目に涙が浮かび、そこには大切な人たちに囲まれて天国へ旅立って行った入居者への愛情が溢れていた。

 

居室に戻るとチェストには半紙が置いてあり、書道のアクティビティで父が書いた「希望」という文字。脳の機能が2割に落ち込み、震える指で毛筆を握ったのに、なんて力強く上手に書けているんだろう。カッコいいよ、ずっと私のお手本だったよ、お父さん!

 

そろそろ帰る時刻。テレビの大相撲をつけても私の顔ばかり見て「お腹がすいた」と訴えるので、もう一つケーキ箱に残しておいたフルーツゼリーの話をして、夕食までのささやかな希望を繋いでもらった。「また来るからね」と顔を撫でて、子ども返りした父の生き甲斐がもっともっと続いて欲しいと願っている。

追記:
前に私の主治医から、「看取り」をしてくれる施設選びがいかに重要かの話を聞いたことがある。名前は出せないが、誰もが知っている有名老人ホームチェーンでは遺族からの訴訟が絶えないという。入居者が心肺停止状態でも救急車を呼んで無理やり大病院へと運び、施設内で看取りを行わないからだ。医師が検死を行なって死亡診断書を出すまでご遺体は病院に置かれ、その保存料は100万円を超えることも多々あるらしい。広告の美辞麗句に惑わされず、良心的な施設を選ぶことが来たるべきときへの課題であると思う。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    祖母は病院で、祖父は家で、母は病院で看とりました。健在の父の事は、まぁその時の状況次第でしょうが、本人は家を希望するでしょう。
    ちなみに僕は家で生まれました、最後の世代かも。
    「生と死」人の自然な事に家族でしっかりと向き合わなくなった人々。
    色々と事情があるでしょうが、非常にさびしい事ですね。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    私も家で生まれました。お産婆さんのお世話になる妊婦って、今はどれくらいいるんでしょうね。
    大家族で暮らし、生死を一緒に見守る暮らしは遠くなりました。

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