看取りができない日本の裏事情

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「また痩せた?」と聞かれることが増えた。基礎代謝を超えないようにカロリー制限をしているせいだと思うが、ウォーキングをサボってもどんどん痩せていく。笑いながら「癌かもしれませんね」なんて応えを返した途端に相手が言葉に詰まるのは、私の姿に兆候を感じ取っているのだろうか。

 

死ぬことが恐いかと聞かれたら、100%恐くないと返せると思う。しかし血を見るのも恐いビビリにとっては余命宣告に苦しむのはイヤだし、自殺のエイヤッ!の思い切りはもっと無理だ。要するに死ぬ勇気がないのである。願わくば痛みも苦しみもなく、ある日突然コロッと死んでいることがベストと思うが、私しか頼るあてのない与六を置いていくことは出来ない。猫なんて飼わなきゃ良かったなと思う反面、この子がいるから生きてるんだと元気を貰うし、何よりも介護施設にいる父より先に逝くことは出来ない。

 

私が血圧治療を受けている主治医と飲みに行った席で相談を持ちかけた。父は誤嚥肺炎を防ぐため、医師の指導のもと磨り潰したミキサー食しか許されていない。さらに誤嚥が進んで口から食物を摂れずに「胃ろう」になったら、食通だった父の生きがいはどうなるんでしょうか、娘が先に死んでも父はチューブ1本で延命されていくでしょうかと聞いてみた。

 

主治医が言うには「胃ろう」という延命治療は近い将来になくなるらしい。「もし僕が受けることになったら、酒だけを補給して貰いますよ」と笑っていたが、そのあとに聞いた内容はショッキングだった。

 

少子高齢化に伴い増加していく介護施設にとって、最も避けたいのは「死を看取る」責任なのだという。入居者が息をしていなくても救急車を呼び、とにかく施設の外へ出す。そんな状況下で亡くなった人には警察の検死が必要となり、医師が検死報告書を書くまでは何日でも病院の遺体安置所に置かれ、1泊につき100万円の費用がかかる。医師の繁忙期(?)によっては1,000万円要求される家庭もあり、押し出しをした某大手のチェーンは沢山の訴訟を抱えているらしい。母体がフード会社なのだから食事が美味しいと継母が移転を迫ってきたことがあったが、拒否して正解だったと思っている。

 

そして今日の午後、父をお願いしている介護施設から緊急連絡のメール。何か起きたのかと真っ青になったが、災害に備えてのテスト送信と知って胸を撫で下ろした。マンツーマンで対応してくれるし、父が入所するとき「延命治療は望みません」にサインしてあり、たぶん看取りは施設内で行なわれる。
それまでは税金をふんだくれながら、元気でいなきゃいけない娘にとって一番の不安は国の政治。明日の国会で一体改革法案はどっちに転ぶのか、振り回される国民は傍観するしかない位置にいるのは確かだろう。

コメント

  1. セリカ より:

    こんばんは。セリカです。ご無沙汰しまして失礼を。
    ゆり子さんの今日の日記がとても気になりまして
    こうして、メッセージを書かせて頂いております。
    ダイエット中なのですね。痩せたのは、そのせいなの
    かな? ゆり子さんが心配です。もしよろしかったら、
    私のブログにメッセージを送ってくださいね。待ってますから。

    お父様が介護施設にいらっしゃるのですね。いろいろと
    ご心配も多いことでしょう。実は、私の父も2年前に他界しましたが介護施設におり、最後は胃ろうを医師にお願いしました。最期は、病院で看取ることができましたので、娘として満足です。父が他界する直前に「私、わかる?」と父にいうと「わかる~」と一言いってくれたことが嬉しくてたまりません。与六ちゃんもいることやお父様もいらっしゃるので、あまり無理はなさらないようにしてください。うちにもターボという名前の猫がいますよ。ゆり子さんの状況がとても心配なので、よろしかったら、kxu8p@trio.plala.or.jpの私のeメールにでもいいので、ご連絡をお願いします。
    ゆり子さんからのご連絡を心よりお待ちしております^^

    P.S. 心配なことや困ったときこそ、連絡し合える
    仲間がいることはこれからとても大事のように思います

  2. yuris22 より:

    セリカ様

    心配して下さってありがとう。
    痩せたのは夕食を野菜中心で500kcal以下に抑えているからだと思います。前みたいに出歩いてバカ呑みもしなくなりましたしね。私は至って元気。 あとでメールしますね。

  3. 的は逗子の鈍亀素浪人 より:

    僕の祖母は病院で、祖父は自宅で亡くなりました(母が2~3年世話をしていました)。その母は4年前に脳出血で突然死、発症から2日でした。残るは父です。
    批判を覚悟して書きますが、今の終末医療は「魂を生かさない」「死に際を与えない」技術・学問だと感じます。
    数十年以前の人々は、悲劇的でも有りますが「自分の死に際(自殺でありません)」を考え生きてきたと思います。
    しかし残念ながら、今は「人の生死」を病院・施設に押し込み自然な生死を日常の生活から引き離してしまっていると思います。
    原発の問題もそうですが、「如何に生き、死ぬか」を考えさせない、教育しない日本は滅びるではないでしょうか。

  4. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    医療費が高騰しすぎた日本において、高齢者は「人」ではなく「物」になってしまったのかと思います。コストダウンの対象ですよね。
    しかもおじいちゃん、おばあちゃんと離れて暮らす孫たちは、遠い身内の死にどれだけ涙するのでしょう。大家族で暮らせなくなり、どんどん縮こまっていく日本は、小さくなりすぎて海に沈んじゃうかもしれませんね。

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