神経衰弱でネガティブを追い払うこと

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昨日より1時間早く仕事が終わった。深夜の食事を終えて寝る前に、やっと自分の時間が生まれる。クライアントからの注文を1つ片付けて、今一番やりたいことは好きなことを好きなように書くこと。机の両脇で崩れそうになっている大量の資料は明日への脅迫とも取れるけれど、今夜は久しぶりに私が主人公のブログを書こう。

 

パソコンの電源を入れて、仕事に取り掛かる前に習慣化している儀式がある。それは神経衰弱のソフトを立ち上げ、カードの絵柄を合わせて1時間ほど遊ぶことだ。くだらない時間のロスと分かっていても、やらなきゃいけない理由が2つある。

 

その1つは膨大な資料を読み始める前に、睡眠から目覚めてボーっとしている頭を鍛えること。カードの位置を視覚で覚える力を研ぎ澄ませてから資料を読むと、頭の中に付箋紙が作られる。どの辺りに何が書いてあるか、文章を映像としてブロックで記憶することが出来るのだ。役に立つあの文章は何の本のどの辺りにあったかと考えるとき、表紙のイメージが網膜に浮かぶ。記憶していた近辺のページをザックリと開けばビンゴ! 神経衰弱で2枚のカードがピタリと当たった快感と同じである。この習慣で今は1冊を1時間でマスターするようになった。

 

〆切前にゲームをするもう1つの理由は、ネガティブな意識を追い払うため。記憶中枢を使う単純なゲームをしていると、力を持て余した頭脳は過去の記憶を探り始める。そこで聞こえてくる心の声は後悔の念ばかり。「私はなんであんな詐欺師みたいな男に騙されたんだろう」とか「お為ごかしの不快なメールに対してもっとガツンと言ってやれば良かった」とか、終わってしまったことがリフレインして渦巻くのだ。そのうちにカードの絵が全部合って、とりあえずスッキリしてもう一回。死にたいほどダメな自分を追い詰めまくり、もうこれ以上遊んでいては〆切に間に合わない状況になってウワーッ!と叫ぶ。すると憑き物が落ちて別人となった私は、難なくクライアントが要求するポジティブな文章を書けるようになるのである。

 

毎日毎日こんな緊迫したゲームを繰り返しながら、待ち遠しいのはお花見。桜が満開になる時期には〆切を突破し、大いに酔っぱらって笑い転げる自分を想像する。今日終わった原稿に対しカレンダーの升目に×印を付け、足元で寝ている猫を蹴飛ばして噛みつかれながら、因果な天職を得たことにフーッとため息。それでも達成感に満足して、またもや神経素弱から始まる明日は、そうだね、きっとうまくいくだろう(^_-)

コメント

  1. asa より:

    いつもふらっと立ち寄って読ませていただいています。
    今回の記事、読んだあとにふわっと桜がさいたような気持ちになりました。すてきな文章ですね(*^_^*) これからもがんばってください!

  2. yuris22 より:

    asa様

    コメントをありがとうございます。
    肩の力を抜いて書けるブログは自分の故郷のように思っています。今夜も仕事を終えて「ただいま~」。自分の文章に迎えられるのは照れくさいながら嬉しいものですね。

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