「花子とアン」のごきげんよう

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NHK朝の連ドラ「花子とアン」で、とても懐かしく照れくさいものがある。主人公の花子や友人の蓮子、醍醐が使うお嬢様言葉だ。彼女らが卒業した秀和女学校のモデルとなったのは、翻訳家・村岡花子の母校である東洋英和女学校(後の東洋英和女学院)。雑誌「女性自身」によればドラマ放送開始からステータスの高い女子校人気が再燃し、娘を入学させる母親が急増したという。

日本のお嬢様学校四天王は「学習院女子」「聖心女学院」「白百合学園」「東洋英和女学院」だそうで、湘南白百合から聖心女子大へ進んだ私は二冠を制したことになるのだろうか。いやいやとんでもない、公立の小学校から受験して白百合の中学へ入学した私は、机を並べるクラスメートとは育ちも環境も雲泥の差だった。父は都内で小さな自動車販売・修理の会社を興したばかりで、住まいはお得意様から借りた2DKのタウンハウス。営業に飛び回って週末しか家にいない父と、経理仕事で帰りが毎晩深夜になる母が、爪に火をともすように働いたおかげで、当時は日本一入学金が高いお嬢様学校の生徒になることができたのである。

新学期前のオリエンテーションで目が点になったのが言葉遣い。これについては以前「美しい言葉で送るメール」という日記に書いたが、挨拶は「ごきげんよう」、感謝の言葉は「恐れ入ります」、掃除当番のホウキ係は「おはき」、雑巾係は「おふき」なのだ。稚園児の頃からお嬢様言葉をごく自然に使ってきたクラスメートたちが異星人かと思えた。もしも通学が制服でなく自由服だったら、私は劣等感の塊になって孤立していたに違いない。すました「ごきげんよう」は分不相応な奢り言葉に感じて、娘の何たるかを知っている親の前では絶対に口にすることは出来なかった。

しかし「花子とアン」の土曜日の放送を見て、私の見識が間違っていたのを知った。放送局で「ラジオのおばさん」として子ども向けの原稿を読む花子が、「さようなら」の挨拶を「ごきげんよう さようなら」にしたいと申し出る。嫌味たっぷりな部長は「あなたは給費生で、貧しい家の出だそうですね」と見下し、「ごきげんようが似合う人間と似あわない人間がいるんですよ」と冷笑するのである。

それに対して花子は「ごきげんようは様々な祈りが込めらえた言葉だと思います」と反論。健康な子も病気の子も、人生が上手くいかない大人たちも、全ての人たちが明日も元気に無事で放送が聞けますようにと祈りを込めて「ごきげんよう さようなら」で番組を終わらせて欲しいと願うのだ。

「ごきげんよう」を英語にすれば、”Have a niceday!”や”How do you do?”。一般的な”Hello”や”Good-bye”といった挨拶だけではなく、相手を気遣う思いやりが含まれた言葉なのだと思う。思いやりを独り占めしない分かち合いは博愛で、猜疑心にとらわれない限り、いつかは安らぎをくれる。朝ドラの最後に美輪明宏が語る「ごきげんよう さようなら」の台詞は子どもたちの間でブームになっているそうで、お嬢様学校の範疇から外に出たらしい。懐かしくて微笑ましい。

白百合時代から時が過ぎ、今やハイグレードな集まりに参加したときには、まさかの「ごめんあそばせ」「よろしくって?」を口走ってしまうワタクシ。帰りにその足で地元の立ち飲み屋に寄ったときには、「いいじゃん!」と神奈川弁を口走るのもアタシ。TPOに準ずる余裕が生まれたのだと解釈することにして、さてトラウマの「ごきげんよう」も使うべきかとうか。いい歳して流行語かと思われたくなく、やっぱり止めておこうと悪デレするひねくれ者である。

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