心が振り出しに戻った訃報

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今朝早く、継母の妹から電話がかかってきた。嫌な予感は当たって「姉が3日に亡くなりました・・」と静かな声。心筋梗塞で亡くなっていたところを訪れて発見したという。遺された手帳から知っている名前は私しかなく、葬儀は継母方の身内で内々に行うとの報告だった。

1週間前に継母が起こした騒ぎについては前々回のブログに書いた。救急隊員によれば身体に異常がなくて病院に運ぶのは断られたが、うつ病がその後の心筋梗塞に繋がったのだろうか。亡くなってから今日の電話まで数日かかったのは何故だろうか。しかし詮索はせず、「ご連絡ありがとうございます。亡くなったことを父の法定代理人に伝えておきます」しか返答できなかった。

継母と私とは血縁も養子縁組もないのだから、遺品整理に行くこともない。どこに住んでいるかすら知らない。気になるのは実家を売却した際に、持って行った父の身の回りの品と写真だがそれもやがて不要になるもの。捨ててしまったか、継母の手元に保管されていたかは定かじゃないけれど、もう処分して下さいというのが正直な気分だ。

年齢を重ねるたびに、あちらの世界が特別なものではないと思うこの頃。電車で次の駅に行くように、魂がそのまま死後の世界に移動するのだろう。そこは先に逝った人々が元通りに暮らしている世界かもしれないし、喜怒哀楽など存在しない虚の世界かもしれない。分かっているのはひとつの命が平成26年の現実から消え、抜け殻となった肉体を誰がどう片づけるかということだ。

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薄情と言われようと涙は出ず、故人を偲ぶ気になれず、今日は淡々と仕事をひとつ終えた後、ベランダでぼんやりと空を眺めている。立冬だというのに、雲のあいだから差す日差しは柔らかくて小春日和。彼女によって破壊された家庭は写真の中にしかなく、それも戻っては来ないけれど、あっけらかんと訪れたこの日をどう過ごそうか、子ども時代に戻った心はページが全て真っ新になった。

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