不幸の予知で儲ける預言者

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陸前高田の地名を出して東日本大震災を予知したとされる、預言者のサイトを見て不愉快な気持ちになった。これから災害や戦争は激化していくと言い放ち、「天上から私たち人間を見ておられる神々が『人間の心よ清く美しくなれ』とさまざまな災害でそのお心を示されておられる気がいたします。」と書かれていたからだ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも人間のみならず瑞々しい動植物を創造した天主(神様)が、災害を起こしてお心を示すなんてあるのだろうか。彼女が「来る来る」と書くたびに画面をキャプチャーしてきたけれど、懸念の事態は起こらないまま記事は削除されている。

 

旧約聖書に記されたバベルの塔とノアの箱舟の物語であれば、清い心の持ち主が一切消えてしまった地球で、神がペアの生物だけを残して全世界を洪水で滅ぼしてしまったのは仕方ない。しかし東北を襲った大津波により犠牲となってしまった方々に対して、出版や講演会などで金儲けに走る預言者が、神のお心が示されたと言うのは神と犠牲者を冒涜しているように思う。集まったお金はどこに行っているのか、なんだか韓国のドロドロした歴史ドラマを見ているみたいだ。度々登場する「知らないオジサマたち」が懐を温めているのかな。

 

私が育った家庭は毎日神棚に榊を捧げ、仏壇にご供物を備え、しかもミッションスクールでカトリック教育を受けさせられた。なのに未だ宗教の本質を見極められない。この宇宙を創造した神や、人の苦しみを救う仏が本当に存在するのか分からない。しかし人間が生まれながらに備わった心には、奢り高ぶりの世俗的仮面を拭い去れば、下地には赤子のように真なるものがあると思っている。それは空から見守ってくれている祖先からのDNAであり、共に生きながらも先に逝ってしまった大切な人からの愛と守護だと思うのだ。

 

悲しいかな、人間は欲望のために沢山の罪を侵し、中には殺人という極悪さによって死刑になる人もいる。日本には裁判員制度が出来て、より公平な目で人を裁く世の中になったけれど、長い歴史を遡れば法律はコロコロと変わってきたものだ。思想を貫いたために死罪となった吉田松陰は果たして神のご意思によって裁かれたのか、現在放映されているNHKの大河ドラマのヒーローとなっているからには、当時の処罰に疑問を抱く人たちも多いだろう。

 

何の権威もないちっぽけな私が言うことではないけれど、人が神の衣を着て預言などしてはいけない。預言内容に災害や戦争、経済不況といったネガティブなことばかり書きたてて人を脅してはいけない。心身が弱っているからといって、そこにお金を落とす相談者はもっといけない。

 

神や仏の御業を口にするのであれば、罪があろうとなかろうと皆が平等だ。次の災害を預言するスピリチュアラーが守ってくれる、だから自分は絶対に生きていられると確信する人はいるのだろうか。本来は幸せを予見するはずであったスピリチュアルブームは、バブルの終焉期を迎えたように感じている。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。真心を持って全うに生きていれば、幸せは向こうからやってくるものじゃないのかな。

コメント

  1. 青蘭 より:

    全く同感です。
    ブログ主様の清らかな魂に頭が下がります。

  2. yuris22 より:

    青蘭様

    ありがとうございます。
    みんなが笑顔でありますようにと、神様にお願いするしか出来ないのですが、心が落ち着く朝晩の習慣になりました。そんな小さなことでいいのかもと、宗教に対して思っています。

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