100歳のお葬式に飾って欲しいのは菜の花かコスモス

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自分が死んだあと、お葬式を私の子どもが取り仕切ってくれるならお願いしたいことがある。それは祭壇の周りに飾る花を、春なら菜の花、秋ならコスモスにして欲しいことだ。それなら夏と冬はどうするの?だけど、季節に関係なく何でも売っている今なら、欲しい花は容易く手に入ると思う。

 

菜の花に思い入れがある理由は、GWから始めた別ブログの記事「引越しブルーの原点 生まれた場所へのひとり旅」に書いた。私を捨てて家出した母へのオマージュ。生まれた家の向かい側にあった一面の菜の花畑を、白い日傘で遠ざかって行った母の後ろ姿が今でも鮮やかに思い出されるからだ。でも母は会合のある公民館に歩いて行っただけ。それが幼児の私にはあまりにも絵画的な光景だったので、菜の花の黄色と青臭い香りは一生の記憶となっている。

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そしてコスモスが好きな理由はちょっと複雑。作詞家業が忙しかったころ、私を大切にしてくれた著名プロデューサーが、週末のたびに息抜きのドライブに連れて行ってくれたことに端を発する。ベンツの窓に流れていく景色で、切ない想いになったのは秋のコスモス。台風になぎ倒されたのに復活して、トラックが走る千葉の街道沿いに、ピンクと白の花を風に揺らす姿が心に染みた。

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ハンドルを握る彼は白髪頭で、私の父と変わらない年齢。いくら逞しく振舞っても、老いを隠せない姿が目に入ってしまい、それが風に倒れながら頑張っているコスモスと重なった。とんでもないお金持ちだったけれど、事業が失敗して破産したと聞いたのは、別れてずっと後である。彼とのいきさつは「垢抜けないシンママに一目惚れした超エリート」に執筆中。彼は復活して、またマスコミに取材される有名人に返り咲いている。

家族運が薄くて、たくさんの恋に失敗して、ゆらゆらと動いている冴えない私は薔薇になれない。100歳まで生きてこの世を去った後、ダンプカーが行きかう道端で、人の営みを見守っている菜の花かコスモスになれたらいいなと願うのだ。澄んだ青空の下、両方の花がサヤサヤと揺れる景色の中に、お棺に入る時には行きたいと思っている。

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