人間は1人では生きていけない。そして他人と触れ合えば、感情が生まれてくる。
喜怒哀楽の中でいちばん厄介なのは、怒りの感情だろう。
夫婦間や恋人間では、怒る側・怒られる側の役割分担のある場合が多い。
愛する人が嘘をついた。
はらわたをカーッと煮え繰り返して相手を責めまくる。思いつく限りの罵倒やイヤミをぶつける。その直後は気持ちがスッとするかもしれないが、結果はどうなるだろう。
イソップ寓話「北風と太陽」のように、怒鳴られた側はガードを固くし、次の嘘は見破られないようにしようと思うだろうし、それが繰り返されれば愛も醒めていく。
怒鳴った側はしてやったりと思いつつ、やがて時がたてば何であれほど怒ったのかの記憶が薄くなる。相手には未だ残っている傷に気が付かず、また怒りをぶつけてしまう悪循環を繰り返すのだ。
癒えることのない傷はどんどん深くなって、2人の間の越えられない谷間になる。
仕事上のイライラをいつも聞いて貰っていた彼に言われたこと。
「いつも直球ばかりじゃダメだよ。時にはカーブも投げなくちゃ。」
よほど我慢強い性格だったのか、意見が食い違って私が怒り始めても「うん、うん」と笑って受けとめてくれる最高のキャッチャーだった。
でもその相棒は昨年の6月にこの世を去って、私はボールを投げる相手を失くした。
バッターと対決するシーンでは、冷静さも演技力も必要だ。
「今、私は怒ってる。醜い表情をむき出しにしている。」と自分の現況を踏まえていれば、相手の心を上手に討ち取るカーブだって投げられるはず。
ピッチャーが投球前に大きな息を1つ吐く。
愛する人に怒りをぶつける前に肩の力を抜く。
勝負はついた。打たれても勝ち取っても、最後は笑って握手のできる関係でいたいものだ。
コメント
私は、ボールを投げるのをやめました。
なぜかって・・・聞いてないか?
相手が「受け方」を知らないし、「学習」も出来ないからです。
時には、力を抜いて「相手の出方・選択」を見るのも大事ですね。
自分が力尽きない為に・・・。
なるほど、北風と太陽ですか。
僕は、怒りのボールは真上に投げて、自分でキャッチするのもいいかなと思ったりします。思いっきり投げると結構高く上がる。投げそこなったり取り損なったら自分が走らなくちゃいけないし、だれかにぶつかると危ないから、めちゃくちゃには投げないからコントロールする。うまくキャッチできたら、なんだか「おっとなー!」って自分を褒めたくなる。
怒りはどこかにしまって、大切な人とは、楽しい話をしたい、限られた人生だから。夫婦とか、対等な関係だとなかなか実行は難しいですけどね。
一周忌が終わったのですね。彼は今夜はどのあたりを飛んでいるのかな・・・。
詩人たそがれ様
>自分が力尽きない為に・・・。
そうですね、↑がいちばん虚しい結末ですものね。
相手の怒りを宥めるばかりも、後味は良くないです。
たけぞう様
なるほど怒りを空に放り上げて自分でキャッチするのですか。
どうしても口に出したい衝動は、相手にぶつける必要はないですものね。
一周忌が終わってから、だんだん黄色の蝶を見る回数が減ってきました。
そろそろ安心だと思ってくれてるのかな。
変化球はイヤミな感じなんで、チェンジアップにしてます。
いつもは剛速球のストレート。
たまぁに力を抜いたストレートw
端から見れば、とても判りやすい男w
こまちゃん
>端から見れば、とても判りやすい男w
いいことじゃないですか、判りやすいって(笑)
微笑ましいご家族が見えるようです。
あ~、僕もどっちかというと直球ばかり・・・。
素直で正直なところはShinさんの持ち味でいい、ってある人には言われるんだけど、時々その人に嫌な思いもさせちゃうんですよね。
素直で正直なのも時によりけりかな。
いいお言葉、ありがとうございました。
Shin様
直球を思い切り投げるときは気持ちいいですよね。
でも剛速球であればあるほど、受け取る側に余裕がないと
辛いでしょう。
こんなことに気づいたものも最近なんですけどね。
日々成長です。