ピチュピチュと小鳥たちの賑やかなさえずりは、雨上がりのお知らせ。カーテンを開けると、誰もいない散歩道が「出ておいでよ」と誘っている。
昔は子爵の別荘だった箱根ハイランドホテル。樹木MAPをコートのポケットに入れて、15,000坪もあるという敷地の散策に出かけた。
テニスコートの脇を入ってコテージが並ぶ遊歩道へ。風は冷たいけれど、木々が深呼吸する空気が胸に透き通る。ところが川の音がする方に進もうとして、突然歩くことが出来なくなった。
その理由は濡れたカエデの紅葉が貼りついたアスファルト。オレンジの星屑が散らばったように見えて、踏みつけるのが可哀相なのだ。
滑らないように星たちの隙間を飛び越えながら、不思議なことに気が付いた。
樹木MAPを見るとカエデ科はイロハモミジしか載っていないのに、黄色い落ち葉と赤い落ち葉があるのは何故だろう。紅葉のメカニズムはきっと神様の絵の具次第なのだと、勝手に詩人の解釈をした。
奥に進むにつれて、落ち葉のカーペットはますます深く足を包み込む。道に迷ったのならどんなに素敵だろうと、幻想的な風景に挨拶する。
一番気に入ったベンチに腰を下ろし、ふと思い出したのは『星の王子さま』(サン・テグジュベリ)の一節。
遊んで欲しいと頼む王子にキツネが言ったことは「仲良くならないと遊べない」。
仲良くなるとは、あるものを他とは違う特別なものだと考えることで、時間をかけ、何かにつけてそれを思い出すことだと言うのだ。
やがて仲良くなった二人に別れの時が来る。悲しむ王子にキツネがもう一つ教えた秘密は「大切なものは、目に見えない」。
小鳥たちの声はますます増えて、空が晴れていく。
「元気になりました」とメールを送らなくちゃ。私の帰りを待っていてくれる愛に想いを馳せた。
コメント
「道に迷ったのならどんなに素敵だろう」…
誰にも見られない、話しかけて欲しくない時間が自分を見つめさせてくれる…私の解釈です。
岐阜の白川町・恵那市岩村という地がありますが、人通りもなく車の音さえない、ただ川の音がする所ですが行きたいけど行けない時にその地を思い出すんです。
「大切なものは、目に見えない」…
目に見えるもの、触れる事ができるものは朝露の如く消えさってしまいますね。
心に描いたものは永遠ですね。
この記事を読ませて頂くことで、感じられる事でした。ありがとうございました。
風小僧様
「愛情(あい)のあかしは言葉じゃなくて これから先も暮らしていくこと
幸せのあかしは形じゃなくて ありがとう言える ふたりの日々」
以前昼ドラの主題歌に採用された歌『これからの風景』のワンフレーズです。愛も幸せも時間の積重ねが築きあげていくものだと、生意気ながら歌詞にしました。私の将来の夢です。
全部の歌詞は上のリンクをクリックすればご覧いただけます。2008.2.8の日記(『あなたが隣にいてほしいから』)です。
「温泉と紅葉」は「日本人でよかった」と思える幸せな空間ですね。
>『これからの風景』のワンフレーズ
こうありたいが、ままならぬ。
yuris22さん、
2008.2.8の日記『あなたが隣にいてほしいから』を読ませて頂きました。
このような将来があれば、どんなに幸せな人生を過ごすことができたかと思って今世の終止符をうてるでしょうね。「また来世もな」と握手して…。
「どうか‥はやくもどってきてください!!」朝露に消えてしまわないように…目にうつらなくならないように… 今は昔、桃源郷から帰りたくない旨を仙人に伝えると、悟りとは下界に価するもの、と諭されました。天にありて地を憂うことも膃なものかと慮れます。「お気に召すままに」とも言っておきますね(^.^)∫
素浪人様
>こうありたいが、ままならぬ。
アハハ・・って、笑っちゃいけませんね^^;
ごめんなさい。
でも何歳になろうが、愛を手に入れるチャンスは万人平等だと思っています。
キラキラと愛の金貨が降ってきますように(^_^)
風小僧様
そうですね、運命の相手は必ずいると思います。
今どんなに探そうが巡り合えなくても、また来世のチャンスがある・・。
生まれかわりを信じれば、人生は急ぐものではなく、ましてや愛はもっと悠久のものです。
だからこそ人は苦しくても生きているんじゃないでしょうか。
muha様
真理は一つであるからにして、正義は一つです。
未来はありありと見えているのに、この混沌とした世間に振り回され、悩み苦しむ儀式に疲れる時があります。
物書きであるのに、言葉足らずな自分が歯がゆい。そんな時には現世を救う観音様に心でお願いをするのです。
「いつも守って下さってありがとうございます。私の幸せが皆に広がりますように。皆が笑顔になりますように。」
ご心配ありがとうございます。心の棘は抜けましたので、居るべき場所に帰ります。