小さなモノにも思いがある

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毛布をかぶっていても、しつこく呼びに来る与六の鳴き声で5時20分に起床。窓へ向って小走りに私を誘導する。変わった雲が出ると写真を撮る飼い主の習性を知っているのか、南東の空には肋骨状の雲と、紅色のきつい朝焼け。低気圧が近づいているから、たぶん地震じゃないと与六に言い聞かせ、とりあえずは写真を撮った。

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雲の観察の趣味が高じて、『地震と雲』(著者:白木妙子 ソラと星出版)という写真集を買った。付録として載っている「原子とニウの物語」(地震はなぜ起きるか?)が気に入ったので、抜粋してみる。

「宇宙の初めは、宇宙の大元が一人だけでさみしく思っていました。それで相手をしてくれるモノをつかもうとする”思い”が最初に生まれました。また反対につかまれまいとして逃げようという”思い”もあらわれました。その”思い”が追いかけっこをすることで渦巻きがあらわれ、それが極限まで凝縮して、パンとはじけて原子が生まれました。」

さらに同じ思い持つ原子同士が集まって星が生まれ、そこから外に出たいという思いを持つ”ニウ”が生まれた。原子は沢山集まることで物質を作り、ニウはその思いを知らせる連絡役。やがて”思いを持つモノたち”は地球に山や丘、生物を作り、星の意識(潜在意識)を持つ人間たちを作った。
地球の万物となった原子たちは、水蒸気となって昇っていく原子たちに自分の思いを伝え、いろんな形の雲として空に浮かぶ。変わった形の雲を作って、”原子たちに意識を向けて欲しい”と人間たちに地震で知らせたり、巨大地震が起きるときは”人間の進む道が間違っている”と知らせる抗議でもある。

ところが私たち人間は、自然も食物も全て”思いを持つ”原子から出来ていることに気付かず、奢り高ぶってしまう。すると肉体を作っている原子たちがSOSを発し、原子から指令を受けたニウたちが連絡しあって、宇宙に思いを発信する。SOSの塊が大きくなると、空や地球に充満している原子たちが行動を起こして、いろいろな災害になるのだという。

この物語を突き詰めるほどに、周りのモノたち全てが、意識を持った原子の集合体に見えてくる。パソコンもコーヒーカップも椅子も靴下も、原子たちが作った森羅万象だ。たとえティッシュペーパー1枚でも大切に使わなくちゃいけないと、ニウたちの囁きが聴こえてくる。無造作にモノを使い捨てにする自分が、地球の破壊者のように思えてくるのだ。

いつか自分自身も使い捨てられる時が来て、肉体は土に戻る。しかしそれは原子が違う形に変化しただけで、”思い”は消えずに残っているのだろう。既に旅立っていった先人たちとの”思い”と重なって、私は空にどんな雲の形を描くのだろうか。

注:「原子とニウの物語」の全文は「地球の謎解き」というサイトに載っています。応援の気持ちをこめて、リンクさせて戴きました。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    人間=分子=原子=振動=地震
    かなり飛躍してるけど、共鳴する時があるような気がするなあ。

  2. muha より:

    こんばんは。似通ったことを考えていました。『αでありωである』灼熱の宇宙を拵えて、素粒子より精緻微細な深淵且つ寛容な韻律をも統べられ…ん!?恒星とは惑星への遠隔自動体外除細動システム…こうして,甦生救命措置が施されているのでしょう…。所詮、その土から捻られたのに過ぎないのですもの。

  3. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    科学的な根拠は何もありませんが、例えば雨乞いの祈りや豊作を願う祭りなど、人間の思いを天に伝えるスピリチュアルなメッセージも、これと同じだと思います。ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』にも、私たちが住む世界の創造について似たようなことが書かれていました。
    集団意識を不安へではなく、愛へ向けていけば、どんなに美しい環境が得られることでしょうか。

  4. yuris22 より:

    muha様

    エネルギーは似たものどうしが引き付けあって塊を作り、その塊同士がくっつきあうと物質ができます。宇宙の星たちも小さな虫たちも、もとは純粋なエネルギーから創造されているのに、一方ではそれを破壊しようとするエネルギーの塊もあります。しかしどちらも元をただせば、たった一つの存在から生まれたもの。それは有でも無でもなく、ポジティブでもネガティブでもない存在だったのだろうと思います。

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