理不尽で不公平で、やむなくて

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ブログの書き出しが、計画停電のことばかりになってしまう。昨夜第1グループは午後6時20分から10時。寒くて暗い夜がくる。しかし箪笥を開ければ着る物があり、キッチンにはお腹を満たす物があることに感謝しなくては。

そこに昼すぎ、昨日は停電から外れた第3グループの友人から電話があった。カレーを作るので私の分も用意してくれるという。時計を横目で見ながらパソコンで原稿を打ち、終わったらシャワーもしておかなくちゃと、カウントダウンしていく残り時間を焦る。

停電のない都心に住む別の友人からは、仕事用にキープしてあるホテルの部屋を使っていいよとの電話。ありがたいけれど家には与六がいるし、不自由な中で助け合っている逗子の仲間たちを思うと、自分だけが楽する気にはなれない。気持ちだけを受け取って申し出を辞退した。

深刻な電力不足はいつまで続くか見当がつかない。とりあえずこの夏は確実と見て、ネットで扇風機を注文した。エアコンより節電になるはず。万が一放射能汚染で窓が開けられなくなった時にも役に立つはずだ。なんだか冷蔵庫が珍しかった昭和30年代初頭に生活が逆行しているなあと思ったが、今までが恵まれ過ぎていたのだろう。

福島原発事故で被曝の恐怖に晒され、避難所生活をする人々は「東京の人たちのために、電気を送ってきたのに」と嘆く。野菜と原乳が出荷停止になった農家は「東京の人たちのために作ってきたのに」と途方にくれる。何不自由なく暮らす生活は、誰かの犠牲の上に成り立っているのだと、奢った都会人は断末魔になって初めて知った。

3月11日以来、私は一度も東京の会合へは行っていない。ホテルで贅沢なランチを食べながら、募金の相談をすることに違和感を覚えるからだ。しかしお金を使わなければ、ホテルの従業員の生活は成り立たず、出入りする業者たちも潰れてしまう。停電によって都心の経済活動が大幅にストップしたら、国は復興の資金が稼げない。理不尽でも我慢しなければならないジレンマを、これまで身にひしひしと感じたことはない。

今さら後には引けない資本主義。誰かが決めたシステムに従って黙々と、ガラスとコンクリートの中で人生の大半を過ごす働き蜂。心の目はどこへいったのか。災害から復興したとしても、また同じ過ちが起きないように祈るだけである。

コメント

  1. marie より:

    確かに現代は食にしても家電にしても何でも物が有り過ぎる。
    パン一個さえも貴重な時代があったと言うのに、人々はその有り難味さえ忘れている。
    子供のおもちゃやゲームも同じ事が言える。
    お金さえだせば何でもあるし、ゲーム好きな大人も多いから子供達もそれが当たり前と思い、次々と新しいゲームを欲しがる。
    お陰で子供部屋はモノに溢れている。
    今こそ「当たり前」の生活を見直す時代なのかもしれない。

  2. yuris22 より:

    marie様

    東京の水騒動は、水道水に何の問題もない逗子にまで及んできました。報道のあとコンビニのペットボトルが瞬殺で無くなったそうです。
    飲料水が水道の蛇口から出ることが当たり前だった日々は、たった数時間で過去の話になってしまうんですね。命をつなぐ水の大切さに比べたら、身の回りは不要なもので溢れかえっています。

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