夢っていつでも見られるの?

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「夢」という言葉ですぐ思い浮かべるのは、橋幸夫と吉永小百合が歌った日本のオールディーズ「いつでも夢を」だ。実家にテレビが現れた日、家族が目をほころばせて見ていた画面で知った歌。

「星よりひそかに 雨よりやさしく
 あの娘はいつも歌ってる
 声が聞こえる 寂しい胸に
 涙に濡れた この胸に
 言っているいる お持ちなさいな
 いつでも夢を いつでも夢を
 星よりひそかに 雨よりやさしく
 あの娘はいつも歌ってる」
(作曲:佐伯隆夫 作詞:吉田正)

幼かった私に意味は分からずとも強烈にリフレインした言葉の「夢」が記憶に残った。それからウン十年後、2014年11月28日に東日本大震災復興支援イベントで宮城県の亘理町を訪ね、改めて「夢」について考える環境と歳に向かい合っている。

亘理町
そのイベントは私が所属している奉仕団体で「ドリームプロジェクト」という名称だった。住居の殆どが津波にさらわれ、3年目にしてやっと再建された中学校でJリーグ選手によるサッカー教室とお笑いトリオ「我が家」によるコント。元気になるための授業として金曜日の午後を割り当て、生徒たちは走って笑って夢の授業に参加してくれた。

サッカー教室
しかし体育館で大人たちと生徒たちとの対話が始まったとき、どうしようもなく嫌な思いになった。それは「あなたの夢は何ですか、将来どんな仕事をしたいですか」という質問だ。親の仕事を継ぎたいとか自衛隊に入りたいという生徒たちには大きな拍手が送られたけれど、「何になりたいか分からない、まだ夢がない」と答えた生徒に対しては皆が黙った。お笑いトリオと主催者代表は「一生懸命やって探し続けていれば、いつか見つかるよ」とアドバイスしたけれど、その子に何が起こったかの状況を知りもせず、通り一辺倒な励ましは空しい。

トークショー
津波に襲われて校舎の屋上で助けを待っていた生徒たち。大切な人たちを失い仮設住宅に住み、3学年で88人しかいない生徒たち。見渡す限り更地になった所々には沼が出来て、彼らは魚釣りをして遊んでいるという。なぜこんな更地の真ん中にある学校に通うのか、下校時刻に来る送迎バスに乗って仮設住宅まで帰っていくのは、周りに何もなくなった中学校だとしても愛する地域に再建された校舎で絆をつないでいたいからなのだ。

泣く・怒る・悲しむでなくて笑う。失いすぎた彼らに問う「夢」という言葉が重すぎて、そして参加した主催者たちは高齢なので今さら「夢」でもなく、何のイベントなのだか溜息しか出なかった。夢や希望といった通り一辺倒の言葉しか使えないのは物書きの私には耐えられず、奉仕団体を退会したい旨を伝えた。しかし取り囲まれて説得され、悶々とした状況が続いている。

「夢」って何ですか?
いつからいつまで見られるのですか?
意味の分からない幼児でも、呆けた高齢者でも見られるのですか?
聞かれたら必ず答えなくてはいけないのですか?

被災地へ出向いた記事をこの数年に渡り書いてきたけれど、今回は時系列の話は書けない。そして次はいつ被災地へ行く覚悟ができるのかも分からない。被災者の皆さんの笑顔を戴くことが目的なんだという意見もあるけれど、相手が「いつでも夢」を必要としているのかどうか、私だって訊ねられれば返答のしようがない曖昧な言葉に悩んでしまうのはどうしたものだろうか。

コメント

  1. とおりすがり・・ より:

    夢ってあったほうがよいというのは大方の世間の意向だけど
    別になくてもいいと思うんだよね。なんとなく夢ってのが
    あったほうが世間の風通しが良くなる感じ・・言わせている
    側の自己満足かなぁ・・
    あと、私は子供のころから五十路に突入した今でも強制されて
    人に語らなければならないものなのか?とずっと思っています。
    なぜに順番に言いたくもないことを語らなくてはならないのか?
    ちょっと、ムシズが走るな。語っても語らなくてもよいと思う。公衆の面前で
    夢だとか将来なりたい職業とか強制で発表するような
    現場はどーかと思う。
    別に毎日楽しくすごせるようになろーね!でいいと思う。

    なーーんて、こと言うときまって子供の頃に心に傷を負った人って
    言われがちだけど、私全然HAPPYで今まで過ごしております(笑)
    自分のやりたい仕事ももってるし・・
    画一的なのが苦手なだけ・・

    と、言いたい放題で失礼しました。スルーしてくださいませ。
    お寒くなるのでお体気をつけてHAPPYなクリスマス
    お正月をお過ごしくださいませ

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