気仙沼大島 ボランティア物語その3

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気仙沼大島のフェリー発着場から、炊き出しを行なう大島小学校へ。ここの避難所は既に閉鎖されているが、体育会で物資の配給が行われるということで、午前8時には島民が集まっている。

小学校の向かい側には仮設住宅が建っているが、まだ入居している様子はない。土台しか残っていない二宮金次郎の像は地震で壊れたのだろうか。

仮設住宅
壊れた二宮金次郎像
私たちは校庭に車を停めて荷物降ろしから開始。飲料やお菓子などの嗜好品は箱を開けたとたんに、配る間もなく無くなっていく。

炊き出しの材料
支援物資配り
給食室を貸して貰えたので、食材を運び込み、すぐに焼きそば用の野菜のカットが始まった。三浦の農家から120個も貰ったキャベツ、二股になった人参が200本位、涙が止まらない玉ねぎ・・、包丁のトントンと言う音が響き渡る。

三浦キャベツ
給食室
大ざるに盛った野菜や肉を校庭に運び、焼きそば作りからスタート。まずは自分たちで味見して10時頃から炊き出し開始の予定が、並んで待っていた方々に、9時にはもう配ることになった。BBQ台を総動員して焼き魚も焼肉も、裏方は戦場のような忙しさである。

カットした野菜
焼き魚
焼肉
RAG FAIRのおっくんは歌いながら綿菓子係。ライブのパフォーマンスに人垣が出来る。

綿菓子
おっくん
オレ様はヘアカット。恐る恐る「幾らなの?」と声をかけてくる人に「タダですよ!」と答えると、予約待ちの列が出来る。

ヘアカット
焼きそば担当のこうちゃん&まーくんの兄弟は、大道芸人かと思うほどの手際の良さを買われ、6時間に渡って焼きっぱなし。地元の女子高生の手伝いを得て、灼熱の炭に耐え、水を頭から被りながらのクッキングである。

焼きそば

ももちゃんは支援物資の配布。最初はパラパラとしか取りに来なかったが、体育館での配給が終わった方々が流れてくると、手渡しに千手観音状態だ。

物資の配布

なおくんと私はずーっと給食室。五徳でトウモロコシを茹で、セイロで中華ちまきを蒸しながら、延々と野菜カット作業が続く。お手伝いしてくれる女性たちから「もう指が痛くて無理」の悲鳴が上がるけれど、休憩も食事もする暇がなく作業は続く。

蒸しあがった中華ちまきをパットに入れて外に運んで行くと、行列の末尾にいる人たちから「一つでいいから、くれんかいねぇ」と声がかかる。「前には何時間も並んでいる人がいるから、本当にごめんなさいね」と謝りながら、本心ではその場で配ってあげたかった。視線が切なくて、もっと蒸して来ようと走って給食室に戻る。

行列
隣の体育館では配給券の番号をカウントする声が1,400番台を告げている。大ざるを受け取りに来た誰かが「全部で3,000人ぐらいになるらしいよ」と教えてくれた。最初は350人対象と聞いていたのが、出発数日前には800人になり、蓋を開ければ3,000人?何度も並ぶ人もいるので、実際はそれより少ない人数だと思うが、約20名のスタッフはビデオの早送りみたいな動きである。

全ての食材がはけた午後3時過ぎ。がらんとした校庭でBBQ台の片づけが終わっても、給食室の横ではまだオレ様のヘアカットが続いていた。「今夜は家に泊って行きなさい」と言ってくれる人もいたそうで、7時間で34人もの髪をカットしたという。

後片付け
終わらないヘアカット
午後4時半に小学校を後にして、一路フェリー乗り場へ。17時30分発の船を待つ間、「震災バエ」と呼ばれる小バエが身体に沢山たかってくるが、「俺たちゃ焼きそばの匂いがするからなあ」と笑いあう。道路の縁にへなへな座ってはいても、ポジティブが取り柄の逗子チーム7名はまだまだ元気だ(私は向かって右端です)。

逗子チーム
鏡のように凪いだ海の向こうから、やがてフェリーが姿を現した。まるで天国の乗り物のように神々しくて、何枚も何枚も写真を撮った。こんなに綺麗な島なんだよ。誰に語るわけじゃないけれど、誰かに聞いてもらいたい。

ドリームのうみ2
気仙沼エースポートに着いて、最後に女子だけでパチリ。これから牡鹿半島へ帰っていく子が、ももちゃんとハグをする。

気仙沼エースポート2
さあて私たちは逗子まで700km。固いシートのハイエースに揺られながら、到着は夜中の3時かな。でも楽しみが一つある。東北道の長者原SAで牛タン定食を食べることを目標に、すきっ腹を抱えて車に乗り込んだ。(完)

コメント

  1. にんじん刻み隊5号:しーちゃん より:

    あの日ご一緒した黒ハイエース夫婦の嫁のほうです。
    突然のコメント申し訳ございません。
    忙しさのあまり現地ではなかなかお話ができませんでしたが、
    蒸し器フル稼働でむわっと暑い調理室でひたすら材料を刻んでいた姿、
    私の記憶に残っています。
    私達夫婦は前日から宮城に入っていて別のエリアに物資運搬後
    宿泊しての大島入りでしたが、夜通し移動だった皆様は本当に
    大変だったと思います。お疲れ様でした!
    次の日、情けない事に私は筋肉痛でした^^;
    皆様は大丈夫でした

  2. にんじん刻み隊5号:しーちゃん より:

    あぁ、途中で投稿してしまいました…
    最後の一文は「皆様は大丈夫でしたか?」です。
    こういう所が抜けている私です。あ~あ。

  3. chi_dori より:

    いつぞやかに書き込みさせていただいた者です。
    今回の炊き出し、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございます。
    今回は最初は約300人で、そのあと800人と人数がふくれあがり。
    それでも大変な人数だというのに、実際は3000人と、変更後の人数をはるかに上回る数をこなされて、さぞや大変だったことと思います。

    私は微々たる物を提供するばかりで、現地に行くことができなく大変申し訳ないです。
    現地に赴いて実際に活動される皆さんには頭が下がります。ありがとうございます。

  4. yuris22 より:

    にんじん刻み隊5号:しーちゃん様

    あの時の同士ですね。指は大丈夫でしたか?
    ラストでキャベツ刻みを男性陣に代わって貰ったあと、笑えるトラブルがありました。焼きそば兄弟のこうちゃん&まーくんからクレーム。キャベツが葉の重なったままブツ切りで、しかも芯も残っているので、これじゃ焼けないと・・
    現場でしゃがんで、ももちゃんとほぐし作業をしながら大笑いでした。

    筋肉痛は私も・・
    ドッカンドッカンと跳ねるハイエースの固い後部座席で、身体中がバリバリになる運動をして帰りました。でも往復とも運転してくれたオレ様&おっくんには頭が下がります。
    皆さん、本当にお疲れ様でした!またどこかでお会いできますように。

  5. yuris22 より:

    chi_dori様

    書き込みありがとうございます。そして食材のご提供をありがとうございます。
    私たち逗子チームは350人前しか持っていけなかったので、現地でどっさりある食材を見て何より安心致しました。被災者の皆さんがお腹いっぱい食べて下さることが、一番の目的でしたからね。
    いつか機会があれば、どこかでお会いできますように。

  6. 石黒 より:

    大島での炊き出し ご苦労様でした。
    我々も7月に大島炊き出し予定しておりますが
    このブログを見て心配になりました。
    聞いている人数は、平日400名 週末500名位と。
    しかしここでの数値をみると最初の人数と
    かなり違っているという事です。
    実際3000名にもなったのでしょうか?

  7. yuris22 より:

    石黒様

    最初は300人の予定で食材の準備を進めていたのですが、急きょ800人になったと連絡を頂きました。しかし「行ってみなければ分かりません。もっと多いかもしれないし、ゼロの場合だってあるかも」と言われ、フレキシブルに対応するつもりでおりました。

    ところが当日は日曜日であり、島民に物資の配給が行われる日だったため、予想以上の方々が集まったようです。マイクで呼び出す配給カードの番号は1480番台まであったでしょうか。そのご家族や、炊き出しに何度も並ばれた方々を総計すると、3000人ぐらいになったのでは?と思われます。
    それでも何とかお料理が行きわたったのは、食材を大量にご寄付頂いた皆様のおかげだと感謝しております。

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