石巻の白いベールと真っ赤なイチゴ

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抜けるような青空の下、東北新幹線の車窓から見る景色は一面の銀世界だった。仙台市内でもこれほど雪が積もったのは久しぶりだそうで、転ばないように歩きながら駐車場へと向かう。石巻へ走る車の先にはこれまでと違う被災地の風景。刺々しいガレキが撤去された平原はどこまでも真っ白で、まるで弔いのベールに覆われたかのように見えるのだ。

東北新幹線から
何度目の石巻になるだろうか今回訪れた目的は、華厳宗管長・東大寺別当の北河原公敬氏によって執り行われる慰霊・復興祈願法要で、炊き出し(ご遺族の皆様とのお食事会)のお手伝いをするためである。会場の石巻大街道斎場・清月記には横須賀のハミングバードスポルテさんが提供して下さったイチゴ300パックが届いており、さっそく私たちボランティアは洗ってお皿に盛ったり、お土産用に袋詰めしたりの準備からスタートした。本当はW支援で郡山産が届くはずだったのがこの寒波。イチゴが予定通り大きくならず、日本全国を探してやっと見つけた徳島産「とちおとめ」が午前中に到着したのである。

徳島の苺
エプロンをしてキッチンにいると「ご焼香をしてください」との呼びかけがあり、急いで法要の会場へ。ご家族の遺影を祭壇に向けて読経を聴いていらっしゃるご遺族の方々はどなたも涙でいっぱいで、言葉に詰まって頭を下げることしかできない自分が情けなくなる。それでも私に出来る限りのことを粛々と行うのが今日の役目だ。

大原小学校 慰霊・復興祈願法要
やがて法要と一時間の講話が終わり、ご遺族の皆様がお食事会の部屋へと入ってこられた。青いテーブルクロスの上に並んだ真っ赤なイチゴたちに「綺麗ねぇ」の声をいただく。甘い一粒を頬張って「おいしいねぇ。家の爺ちゃんが大好きだったんだけど、もういないからね」と悲しそうに微笑むご婦人に、早く春が来ますようにとお土産用のイチゴを手渡した。
会場でお手伝いをされていた小学校の先生も「子供たちに食べさせてあげたい」と翌日の給食用に。実は仙台イチゴも有名であり宮城県亘理町はいちばんの産地だったが、農家が津波の被害に遭って殆ど生産が見込めないという。

テーブルの苺
お土産用苺
苺シスターズ
この日は14時に片づけをして東京へ帰る予定だった私たちに、突然の予定変更。残ったイチゴ16ケース(128パック)を牡鹿半島の小淵浜へと届けることになった。10月にコタツと敷・掛布団のセットを贈った仮設住宅の皆さんに食べていただくためである。懐かしい民宿めぐろのご家族やスタッフの皆さんの底抜けに明るい笑顔に再会して、まるで第二の故郷に戻ってきたような気持ちになった。

民宿めぐろにて
牡鹿半島小淵浜への苺2
牡鹿半島は道路の舗装が良くなり、打ち上げられていた船の姿も少なくなっていたが、破壊された家々は寒風の中でそのまま。民宿めぐろの窓から見渡す津波の跡もそのままである。暮らしていた人たちはいつまでこの荒れた景色を見続けなくてはならないのだろう。あと一カ月で東日本大震災から一年。心に本当の春が訪れるのは何年先になるのかと、帰り道も白いベールの石巻を目に焼き付けた。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    私が言うのもおかしいかもしれませんが、
    御奉仕される皆様に感謝致します。ありがとうございます。
    もう1年!?、日本に早く春が来る事を祈るばかりです。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    今回は初めて被災地を訪れる方々がご一緒されました。どう処すれば良いのか戸惑っていらっしゃるようでしたが、来て下さったことに感謝です。まずは現状を見て頂きたいし、感情を抱いて頂きたい。言い方は悪いかもしれませんが、自分の本当の心を直視できる千載一遇の機会なのだと思います。
    3.11から1年が経っても震災は終わっていない。何度も前を通って同じ姿の崩れた家々は、決して春の来ないモニュメントです。

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