私の手元には奇跡的に残っているアルバムがある。父が脳卒中で倒れた後、売却することになった祖父母の家を片付けていた時、神棚の隣にある秘密の棚で見つけた写真集だ。父の妾が実母を追い出して妻の座に居座ったあと、織田家の歴史のために祖父母が嫉妬の焼き打ちから守ってくれた家族の記念である。バリバリと音のするページをめくるごとに時が進んでいくアルバムは、私が生まれる前から始まって東京オリンピックが開催された頃まで、ツルツルとしたモノクロームプリントの思い出が貼りつけられている。
なぜ今日こんなことを書くかと言えば、テレビ放送を振り返る番組『NHK TV 60』を見たことに起因する。プロレスラーの力道山や東京オリンピックの選手たち、戦後復興に活躍した日本人たちが繰り広げたドラマに対して、熱狂的アナウンスを聞きながら涙が止まらなくなったからだ。
力道山の世紀のラウンドには、新橋駅前に設置された2台の街頭テレビを見ようと1万人の観客が集まったという。でも力道山はデストロイヤーとの試合で屈辱の引き分けとなった後、ナイトクラブで自暴自棄になって持ちかけた口論でヤクザに刺されて逝去してしまった。森山良子さんの歌『バス通り裏』に、「力道山が空手チョップで 画面の中で暴れすぎると 故障をしちゃう白黒テレビ 父はげんこで叩いたものよ」という一節がある。たぶんそのころ私は生まれていなかったと思うが、日本人のDNAに擦り込まれた『3丁目の夕日』的ノスタルジーが込み上げて、二度と戻ってこない時代にオイオイと泣かずにいられないのだ。
次々にヒーローは期待される。高度成長で一丸となった日本が「これを見よ」とばかりに開催した東京オリンピック。マラソンでイギリスのベイジルにゴール直前で追い抜かれ、2位から3位に下がってしまった日本の星・円谷幸吉は、その数年後に「疲れ切ってしまった」との遺書を残して自殺した。戦後復興を懸けての「追い付け追い越せ」を、テレビのブラウン管を通して一身に背負っていた重圧はどれほどだっただろう。
しかし亡くなった方々も含めて思うのは、プロレスラーもランナーもバレーボール選手も皆が美しい顔をしていることだ。それは昔のモノクロ映像のせいなのか、強い意志が表情に現れているせいなのかは分からない。
番組が終わってから物置に行き、昭和30年代頃のヒーローたちの写真はあるかなと古いアルバムを取り出して眺めた。残念ながらお宝画像はなかったけれど、ページをめくるたび私に挨拶してくれるのは若かりし頃の両親と赤ちゃんだった自分。ひいき目としても何て美男美女のもとに生まれたのだろうと嬉しくなりながら、私が小学生低学年までで終わっている歴史を眺めた。両親が不仲だったせいだろうか、アルバムに貼らずに袋に入っていた写真を継母が捨てたせいだろうか、その後の家族史はどこにも見つからない。
独り暮らしの私が尽きる時には、思い出のアルバムも他筋の焼打ちに会うだろう。だからせめて数枚はデジタルで残そうとスキャンしたものをブログに残すことにした。行き先がバラバラになってしまった親子の顔はどこか似ているのかなあ。今の私より遙かに若かった両親へ、お二人より遙かに歳を取った娘より愛をこめて。
昭和は遠くなりにけり。そしていつかは平成も遠くなりにけり。私が生きていた時代はNHKアーカイブで流されて、遠い子孫の誰かが涙してくれたら本望である。
コメント
「男らしい美しさ」「女らしい美しさ」、今言ったらめちゃくちゃにされそうだけど、昔の白黒写真の人たちには似合うと言葉と思います。
私も古い写真を整理しているので、亡き母の20歳頃の写真がHDにありますが、その写真を初めて見たときその美しさにびっくりしました。手前みそか。
カラーより白黒が好き、あの美しさはなんだろうか。
今でも白黒フィルムて手にはいるのかな?
祖父のPENTAX取り出して、写真を撮ろうか。
的は逗子の素浪人様
白黒フィルムはアラが見えないだけじゃなく、心の核みたいなものが写る気がします。私も撮りたくなってきた。物置に古いカメラは見つかるかなあ。
やっぱり、古いもの、特に昭和の頃の思い出っていいですよね。
今や、何もかもが便利になり、食洗機だの、オール電化だの、夢が現実の世の中になっています。
しかし、そんな時代になりつつも、人々の心はどうなのかな・・?と思う時があります。
不便だった頃のことなんて忘れ、お金だけの亡者になっている人もいます。
確かに世の中「お金」です。
必要最低限ないと生きてゆけません。
しかし、大事な「心」を忘れている昭和生まれの世代が多いような気がします。
むしろ、平成生まれの若者世代の方がしっかり、地に足のついた人生を歩みつつあると思います。
近年では小学校から、将来社会人になった時に困らないような教育が進んで来ています。
子供達の方が贅沢な時代に生まれつつも下手な大人よりも大人だと感じることがあります。
marie様
昭和生まれの世代でも年代によって二分されるかもしれませんね。
戦後復興期にあった人たちはむしろ「生きること」に対しての熱意一本だったからこそ、今の私たちが喰うに困らない未来を築いてくれたのだと思います。競争第一主義の詰め込み教育は「個性」を奪ったかもしれませんが、アリのように働き、どんな理不尽にも耐えてくれた彼らのおかげで、日本はアメリカと並ぶ経済大国となりました。
しかし問題はその後で、日教組の「ゆとり教育」で自由を謳歌した世代はキリギリスになりました。ペーパーマネーで一晩にして億万長者となり、未だに楽して「カネ」を儲ける方法を探すことにしがみ付いています。政界・金融界にもぐりこんだ日本潰しの忍者たちに操られた結果でしょう。
そんなキリギリスたちの被害者こそ、平成生まれの子供たちだと思います。のほ~んとしてるように見えても、感性が鋭いからこそ大人たちの嘘には乗って来ません。彼らが心をひとつにするのは「カネ」ではなく、自分が大好きなことをやりたい、誰かに喜んでもらえることをやりたいという「価値観」に移行しました。
価値観はワールドワイド。若い人たちは国境を間に敷いて争うことより、東アジア共同体が生まれることを望んでいるんじゃないでしょうか。