美しい日本語で喋ること

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連休の合間の平日、地下鉄にスーツ姿の男女が乗ってきた。憤った女性が同僚と思わしき男性に対して、上司への怒りをぶちまけている。自社への謗言を公共の場で語るのは如何かと思うが、それ以上に眉をひそめたくなる言葉があった。「うちらだって一生懸命やってるのに」「うちらの会社って古いよね」と連発する「うちら」が、ひどく品のない喋り方に聴こえてしまうのだ。

 

関西では自分たちのことを「うちら」と呼ぶ。方言の一部として喋っているのは違和感ないのに、標準語の主語として「うちら」が出てくるとヤンキー言葉みたいに感じてしまう。今の20代にとっては小学生の頃から口にしていた代名詞らしいし、学園ものアニメにも普通に使われているが、ミッション系女子校育ちのオバサンには理解不能。男女共学の学校へ行けなかったことへのコンプレックスかもしれないが、男子生徒が女子生徒を苗字で呼び捨てにするのも好きではない。彼女のご両親の前でも呼び捨てにできるのか。

 

そんなことを考えていた折り、昨夜は小津安二郎監督の作品「東京物語」を観た。敗戦からの復興期にあった昭和28年の東京は工場の煙突から黒い煙が立ち上り、狭い住居に煎餅布団、客間もない暮らし。下町が舞台なのでお世辞にも綺麗な街とは言えなかったが、ひとつだけ感心したものがある。当時の人々の礼儀正しい言葉遣いだ。

 

家族であっても目上の人にはきちんと敬語を使う。子どもが汚い言葉を吐いたら母親が「許しませんよ。お父様が帰っていらしたら叱って戴きましょう」と厳しく躾ける。質問に答えるときは曖昧でなく、まず「はい」「いいえ」をしっかりと言う。原節子の唇から発せられる敬語には聡明さと気品が満ち溢れ、言葉が清らかな水になって画面に流れているように感じられた。もしも彼女が「うちら」なんて人称を使ったら、「永遠の処女」と呼ばれることはなかっただろう。

原節子
東京物語

時代は変遷して、喋り言葉は自由になった。より新しいギャル語やネット用語を使うのがイケていると思われる。しかし私は相手が迷惑な電話セールスであろうと、タメ口どころか、誇りある日本語を使いたい。親しい人にも水くさくない程度の敬語で、「○○してくれる?」よりは「○○してくださる?」、「わたし」よりは「わたくし」の方が喋っていて心地良いのだ。

 

この連休は古い日本映画を観ながら言葉の研究。時代劇に出てくる「なれど」「されど」もお気に入りだが、さすがに平成の世では使えず、いつかギャル語として復活してくれるのをこっそり期待している。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    小津安二郎監督作品は、実にゆっくりと静かに進んでいくのが印象的。時代の体内時計でしょうか。
    はじめて見た時驚いたのは、僕の知っているあの笠智衆と同じだった事です。随分若いころから年齢を重ねた人を演じていたんですね。
    仰るように「言葉使い」も確実で、わかりやすい言葉でしたね。原節子さんは「日本のオードリ・ヘップバーン」かなぁ。

    僕が振り返ると。 昭和40年代が1つの境目だっだと感ています。理由は「女性が日常的に着物を着なくなったなぁ」と思う事です。

    オヤジ語で復活ですかね(笑)。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    逗子に「R」というお気に入りのワインバーがあるんですが、ソムリエ兼シェフの女性オーナーがいつも和服姿です。先日は「水浅葱」色の付け下げに黒の割烹着を着て、とても素敵でした。
    和装は女性の品格が一段上がるように思います。若い人たちも普段着感覚で着てほしいですね。

  3. さすらい日乗 より:

    お言葉ですが、1970年代当時、職場に大変に映画好きの60代の女性がいて、この人は歌舞伎の勘三郎や歌右衛門がご贔屓でしたが、「小津の映画って嫌味ねえ、あの台詞は嫌よね」と言っていました。
    当時、すでに小津の映画に出てくる人物の台詞はかなりの違和感を持って受け取られていたと思います。

    女性は結婚すると着物を着るという習慣は、1960年代まであり、映画『君の名は』で、岸恵子は独身時代は洋服ですが、結婚すると着物になります。

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