身体の一部になった湘南の海岸たち

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都内で仕事を終えて横須賀線で逗子駅に着くと、幸せな気持ちで満たされる。逗子海岸から風に乗って運ばれてきた潮の香りが「お帰りなさい」と出迎えてくれるからだ。

休日にはウォーキングがてら逗子マリーナを抜けて鎌倉の材木座海岸へ。ウィンドサーフィンのカラフルなセールは四季を問わず海面を走っているが、ゴールデンウィークを境に数がぐっと多くなった。桜貝を拾いながら波打ち際を歩いて、海の家の基礎作りが始まっていくのを見ると、このまま由比ヶ浜のずっと先まで歩いて行きたくなる。家族と暮らしていた頃から常に近くにあった相模湾の砂浜は、もう写真でしか見られない実家の思い出とリンクしているのである。辿って歩くほどにそれは切なくなるばかり。

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小中学時代は江ノ電の湘南海岸公園駅の近くにあった我が家。犬の散歩は雑草が茂った境川沿いの土手を歩いて行く。母校の湘南白百合学園を左に見ながら、海水と淡水が入り混じった独特の匂いが強くなると河口が近い。江ノ島を正面にして右側が片瀬西浜、辻堂、茅ヶ崎、左側が片瀬東浜、腰越、七里ヶ浜へと国道134号線が続く。

高校から大学時代にかけて住んでいたのは七里ヶ浜の丘の上。隣に家が建つまで、私の部屋からは絵葉書みたいな青い相模湾が眼下に広がり、花火大会も一等席の出窓に飲み物を並べて楽しんだものだ。その家には祖父母が残り、バブル期に儲けた両親と私は鎌倉高校の裏に引っ越した。大きな窓の借景は鎌倉市の原生林でタケノコの宝庫でもあったが、心は海へ海へだ。夏が来る前にビーチマットを抱え、鎌倉高校前駅を越えて134号線を渡り砂浜へ。真っ黒に日焼けすることが湘南ガールのステータスだと思っていた私は、高校の部活生たちがランニングする横で、恥ずかしげもなく細いビキニを着て寝転がっていたものである。

そして今は逗子市の小坪で愛猫・与六との二人暮らし。ベランダからは相模湾にヨットが浮かんでいるのが見えて、波の立ち方で風向きが分かる。小学生のころから湘南の海は私の身体の一部であり、きっと死ぬまで離れて暮らすことは出来ない。

そこに嬉しいニュース。鎌倉市の海岸3カ所の命名権を購入した「鳩サブレー」の豊島屋が、海岸の名前をそのままにする方針を発表したという。

同社の発表によると、由比ガ浜は「由比ガ浜海水浴場」、材木座は「材木座海水浴場」、腰越は「腰越海水浴場」。それぞれ最も多くの応募があり、長年地元で親しまれた名称がそのまま生かされる形となった。今夏から3年間、使われる予定。久保田社長は「昔ながらの慣れ親しんだ名前になってよかった。海水浴場という言葉が死語になりつつある中でこの呼び名が入っていていいと思う」と語った。(朝日新聞デジタル「鎌倉の3海水浴場、名称決まる 地元企業が募集」から引用 2014/05/15 12:30)

ビーチではなくて海水浴場、カメラではなくて写真機。祖父母が使っていた言葉は日本の良き時代そのもので、棚の奥にしまってある昔のアルバムをめくりたくなる。写っている片瀬西浜の海岸から聞こえてくる歓声。足の裏を波が引いていく、海水のぬるい感触が何だかとても懐かしい。

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