10年ぶりに髪を短くした。かろうじて結べる程度のショートヘアだ。周りからは「何かあった?」と聞かれるけれど、恋人もいないのだから失恋ではなく、単に長い髪が邪魔になっただけである。
床に落ちた長い抜け毛はひどく目立つ。シャンプー後の排水溝に集まった毛はゴソッと嵩が多く見えて、このまま行ったら四谷怪談のヒロインになるんじゃないかと背筋が寒くなる。夏になれば猫の抜け毛も加わって、履いても拭いても掃除を怠った家に見えてしまうのが耐え切れず、クリーンな道を選ぶことにした。
そして断髪式。スタッフを使わず1人で切り盛りし、半年に1回しか予約が取れない某カリスマ美容師からOKの連絡を貰って、土曜日の正午に向かったのは世田谷。駅から10分ほど歩いた森の中にある美容室に、ボサボサのロングヘアで「お久しぶり、野武士です」と挨拶したら笑われた。戦国時代の合戦で負傷して野山を逃げ惑うサムライみたいに、見る影もないヘアスタイルになっていたからである。
「どうします?」以前に、鏡の前に座って即刻お願いしたのは「思い切りやっちゃって下さい」。シャキシャキと動く鋏がいさぎよく切り落とした髪が、ホウキで履き集めればこんもりと黒い山となる。私の10年間が切り落とされたのだと感無量になり、それからは目を閉じて過去を振り返る旅に出た。
いつだったかラジオでユーミンが言っていたが、よほど強運の持ち主でない限りロングヘアは運と体力を吸い取る。なるほど私の傾向としては、ショートヘアの時に素敵な恋をつかみ、ロングヘアの時に詐欺師やスケコマシやらが寄ってくる。たぶん髪がユーミンほどのミラクル強度を持っていないのだろう。しかも伸ばせば伸ばすほど貧相な質感になって「美」からは遠ざかる。
さてさて森の中の美容室。親ゆずりの頑固な癖毛ゆえ、カットの後に縮毛矯正、ふんわりとカールするためのデジタルパーマ、仕上げのブロー。ここまで要した時間は4時間半に及んでも、値段は町場の美容院の半額程度だった。「長らくお待たせしたので・・」の割引が入っていたのだろうが、何よりも爽快で幸せな気分になった。
ずっと頭皮を引っ張っていた重りが消えた世界は、御伽草子の「鉢かつぎ姫」に匹敵する。観音様のお告げにより大人になるまで頭に鉢をかぶりつづけ、周りにいじめられながらも最後に幸福をつかんだ娘の物語である。
ロングヘアで鉢かつぎ姫になれるのは、ユーミンが言っていたように天から選ばれた存在なのだろう。頭皮が軽くなった私は昔のごとくラッキーに出会えるよう、軽々と生き生きと振る舞いたい。長い髪を切ったのはこれで何度目か・・、今度こそ失くさない幸せを手に入れたいと思っている。
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