野生の動物とペットとの境界線

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うちの与六は生後2カ月のときにブリーダーさんから購入した、猫種としては比較的新しいマンチカンという種類の雄猫である。何十万円もする短足マンチカンではなくて足長タイプだけれど、骨太な体つき、真ん丸な頭、くるみ型の目、腰を振りながら直線上を歩くモンローウォークなどは血統書通りで、足のレングスも短めかなと贔屓目に思っている。

与六はペットとして飼われるために代々繁殖して生まれてきた子。この6年間ベランダ以外は表に出したことがないのに、野生だったルーツを感じるときがある。

  • 飼い主の急激な動作には危険を察して飛びのき、決して油断しない。
  • トイレで用を足した後は、モノと匂いを隠すために執拗に砂をかける。
  • 見張っている窓から小鳥を見つけると、捕りに行けない悔しさで「カカカ」と鳴く。
  • 窓から野良猫に出くわしたときは、鈴のような声で「ニャ」と呼びかけるか、「ウンギャーゴロゴロ!」と敵意を剥き出して脅す。
  • 暑くてもじっくりと被毛に太陽光を浴びて、ビタミンDを生成する。
  • 飼い主から貰う食べ物は嗅いで嗅いで嗅いで・・・、フレッシュでなければ絶対に食べない。

書き出せばもっとあるけれど、昨夜気付いた与六の野生。インテリアの色に合わせて自らが保護色になっているのだ。いや、被毛の色にマッチした場所を選んで寝ていると言った方がいいかも。

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革のソファーを保護するために掛けたのは、同じ茶系のハワイアン柄タオル。それは与六の被毛カラーと見事に溶け込んで、擬態としか思えない自然のミラクルを感じる。うっかり上に座ってフンギャ!と叫ばれるところだった。

親馬鹿のあまり与六の話を長々と綴ってしまったが、今回言いたかったことは他にある。水族館イルカ問題だ。日本動物園水族館協会(JAZA)が国際社会からの批判を受けて、追い込み漁によるイルカ調達を禁止したことで、加盟水族館では「繁殖がうまくいかず、飼育頭数が減るのでは」と不安をつのらせているという。

このニュースを聞いて考えたこと。イルカはワシントン条約の規制対象には入っていないけれど、なぜ野生のイルカの恐怖心をあおる方法で捕獲して水族館が購入し、芸を仕込まなくてはならないかだ。もう野生に戻れない個体を飼育するのなら分かる。いつか絶滅危惧種となったときのために繁殖方法を研究する必要もあるだろう。しかしペット化させてショーを開き、お客さんを喜ばせるのは、単なる人間のエゴじゃないかと思うのだ。

なら動物園は?と「そもそも論」になるので掘り下げないが、野生と飼育との境界線は難しい。アライグマだって、野生→ペット→害獣→特定外来生物の道を辿ったのは誰のせいだろう。

文明を切り拓くためにいったん自然に手をつけたからには、その将来に最後まで責任を取るのが人間の務め。さもなければ地球の創造主から見て、ワーストワンの害獣は人間になってしまうと思うのである。

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