我がままのセルフコントロール

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三つ子の魂百までという。たぶん3~4歳だったと思うが、自分の性格で最もダメな部分を鮮明に認識したことを覚えている。

銀行の支店長だった父の異動に伴い、徳島に住んでいた頃の記憶だ。母と買い物に出かけた商店街のおもちゃ屋で、欲しいものを見つけた。ダメと言われても我慢できず、地団駄踏んで泣き叫ぶ私に、母は「これにしましょう」と無理やり絵本を買った。

引き摺られて家に帰って昼食の時間。祖母と叔母と、数人の女性たちが集まっていた居間で、私は人目も憚らず憤りが収まらない。ご飯を食べるように言われても首を横に振り、絵本を縁側から投げ捨てて、しゃっくりが出るほど激しく泣いた。「かんしゃく持ちだね」と誰かの声が耳に入り、相当恥ずかしいことを言われたと驚いて、さらにワアワアと泣いたのである。

大人になってみれば、おもちゃ屋で何が欲しかったのか全く思い出せない。おままごとセットか人形か、たぶん物なんて何でも良くて、自分の欲求を通すことが一番だったのだろう。セルフコントロールが出来なかったのは、一人っ子で甘やかされたのが原因なのか、祖父母を含めて当時の私を知る人は殆どが空の彼方に行ってしまった。

そして今は、どこで性格が変化したのやら、欲しいものが手に入らなくても地団駄を踏むことはない。むしろ無理な要求をして相手に迷惑をかけないよう、笑って唾を飲み込むパターンが多くなった。でもそれは自分を卑下しているのとは違う。生きてきた時間よりも残された時間の方が少ない年齢になると、我がままを貫いて手に入れたものをキープしていけるのか、対象への責任の重さを考えるようになったのである。乗らなくなった愛車は売ることができても、人への愛は自分から手放しちゃいけない。

昔、シャンソン歌手に頼まれて書いた歌。昼ドラの主題歌になった『これからの風景』のワンフレーズには、老年夫婦に向けた私なりの理想が込められている。
🎵人はいつかは星になるけど できることならあなたよりも
  たった一秒長く生きたい さみしい思いをさせないように🎵

選び、選ばれた間柄。本当に愛しているパートナーであるなら、「最期は看取ってあげるからね」と、相手よりも健康で長生きするように心がけるべきと思う。自分を分かってくれないと不満をぶつけるのでなく、大きな懐(ふところ)で相手を包んであげる。我を通せない歯がゆさは、酔って眠って忘れるなり、穴でも掘って埋めておけばいいのだ。

幼児の頃、泣いて転がって求めたおもちゃは、そのあとに最も欲しかった誰かの手に収まったはず。飽きっぽい私と違い、何年も大事にしてくれたかもしれない。

クローゼットの肥やしだった衣類を捨て、読み終わった本を潔くリサイクルに出し、断捨離を心がけるこの頃。たったひとつ、どうしてもどうしても欲しいものを見極めるまで、どんどん身軽になっていこうと思っている。

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