スピーチ原稿を書く仕事

広告

6年前このブログに「僭越ながらは謙虚か傲慢か」という記事を書いた。よく読まれているようだが、なぜ「僭越ながら」をテーマにしたかは、私のもう一つの仕事に関係しているからだ。

組織が年度切換えを迎える時期が近づくと、スピーチライティングが忙しい。簡単にいえばトップの方々のスピーチ原稿を代筆する仕事で、「演説は本人が書くもの」と誰もが疑わない日本では、スピーチライターという職種はほとんど浸透していないと思われる。誰が喋るかは極秘だし、クライアント名を名刺に刷って営業するわけにもいかず、ゴーストライターに徹した地味な仕事なのである。

 

文筆業の出だしは作詞家であるが、テレビ・ラジオの放送台本や脚本書き、ステージ構成などを併行してやっているうちに、「あること」がとても得意になった。それは目で見る文章でなく、聞いて分かる文章を書くことである。特にラジオの放送台本はパーソナリティがあたかも自分の言葉で喋っているように聞こえないといけない。「えっ、生放送でも台本があるの?」なんて驚かれるが、台本がないとディレクターは番組進行が分からないし、リスナーの反応に合わせ、パーソナリティの横に座って原稿を書きまくるのは相当の熟練が必要だ。

 

人間には耳で聞いて理解しやすい語調(五七五や韻など)があり、息次ぎのタイミングを計算して、句読点を打つ場所も考える。「今日はよく晴れてますね」と「今日は・・・、よく晴れてますね」では大きく違い、後者だと窓の外を見て天気を確かめるライブ感が出る。脚本だったらト書きがある上に何度も読んで練習できるけれど、放送台本はオンエア(または録音)前に一度目を通すぐらいなので、センテンスは短めに、アドリブがきく幅を含ませた方がいい。

 

最も神経を使うのは、喋る本人の個性に合わせること。その人と打合せをしているうちに口調の癖をつかみ、カタカナ語、熟語、流行語などのボキャブラリも取捨選択する。意味が分からずに喋りがたどたどしくなるのは、何か読んでいるのがバレてしまうからだ。

 

そして、偉い方の畏まったスピーチ原稿の場合は、市販本の「スピーチ集」に載っているようなガチガチの定型文は使わず、大和言葉の洒落た言い回しを考える。「これから30分、我慢して座ってなきゃいけないのか」と諦めている聴衆に対し、ストライクでなくカーブ球を投げるのだ。「あれ?」と耳が向いたところで情報のフォークボール。メモしたくなるような役立つ情報を噛み砕いた言葉で伝えるのである。

 

というわけで、職人技として培った話し言葉は何の苦もなくキーボードに打ち込めるが、その何十倍も労力がかかるのは最新の情報を集めること。政治、経済、歴史、国際情勢、科学、医療、芸能などオールジャンルに渡り、それこそSMAPの独立問題だってスピーチの議題に関連付けて語れなくちゃならない。「風が吹けば桶屋が儲かる」の論理立てがいかにスムースにできるかが、スピーチライターの腕の見せ所なのだ。

 

ネットが普及したおかげで、部屋中に参考書籍を積み上げなくても済むようになったが、情報の信憑性を確かめるのには時間がかかる。誰でもSNSで好き勝手に発言できる時代。引用して著作権侵害にならないか、公序良俗に反していないか、蚤のハートのような神経を使うのである。

 

スピーチライティングを始めてもう何年になるだろう。春が来るまでは昼も夜もパソコンに向かう毎日が続いて、飲食を忘れるため体重が激減する。昨年からの禁酒で既にマイナス6kgなので、これ以上痩せるわけにはいかず、昨夜はキーボートの横にクッキーの袋を置いてカロリー摂取した。Facebookに夜明けの写真をアップしたりしているが、もちろん徹夜明け、そのまま昼間も続行のヘロヘロさだ。

夜明け

お酒は飲まないし肴も食べないし、花より団子になった近ごろ。差し入れが届いたら嬉しいなと、宅配便のお兄さんが鳴らすピンポーンが待ち遠しい。

コメント

  1. 坂場 一隆 より:

    ゆりちゃんへ
    読ませてもらいました。
    まず第一声、おどろいたなあ~、あなたがそんな仕事をしてるなんて、才能の上に努力努力と重ねながらやる仕事だね。

    実は私のなやみやら他話をしよう。
    耳が悪くなって(またかと言われそう)会社の会長職をやめ顧問になった。
    ロータリークラブもやめた。
    何をやろうか考えていうちに、会社を変えようと決心した。
    どう変えるかって一言でいえば、自然に努力しないでも利益の上がるシステムを作る。取組初めて3カ月になる。
    具体的な方法論は割愛するが「全員営業」するシステムだ。
    毎月1回会議を行い、どうして今の体制から新しい体制に変えるか、会議の席上話をする。

    しかしながら会議中あくびをしたり、変更することに異を唱えたりして、私の真意が伝わらないのが悩みの一つである。
    コピーライターの著書「伝え方が9割」①、②を読んだり、アドラーの心理学を勉強したりしている。
    最近知ったことで「自分が変わらなければ、人を変えることはできない」「人は変えることに苦痛を感じる生き物である」であるetc。

    つくづく思うことはスピーチひとつで、こちらの真意が伝わるか、あるいは説得できるかが分かれ道である。

    あなたのやっている仕事の重要性と、あなたの能力と、努力に敬服する。また意義ある仕事だね。

    ネットと本
    わからないことがあると、すぐネットで調べる。大変便利で利用している。
    しかし本は何時でも何処でも手軽に読み返すことができ、内容も豊富であるところがよいところ。

    最後に貴女のやっているスピーチ原稿の重要性をしみじみ感じている。意義ある仕事だね。
    お互いに頑張ろうね!
    羊羹でも送ってピンポン鳴らそうか。ではまた。
                     K.S.

  2. yuris22 より:

    坂場さん

    三つ子の魂百までですから、人を変えるのは難しいですね。プライドの壁を立てている人、聞いているのに知らないという人は論外で、自己愛が強いのでしょう。
    こちらの思いを1パーセントでも汲んでくれたら、前進したと喜びたいです。

    そう言えば羊羮、久しく食べてないです。今度ドライブに行かれたら、お土産に買ってきてくださいね(^-^)v

  3. 的は逗子の素浪人 より:

    柄でもないのですが、身体障害者補助犬の一つである介助犬のデモのMCをしています。まだまだ新米なので慣れない事もあります。
    基本的なシナリオはありますが、デモの主役は犬なので、個性、得意不得意があり、それを踏まえ、気まぐれのハプニングにアドリブを入れ、更にお客さんたちに、介助犬を理解して頂くために、伝えねばらならない必須事項を伝えるMCで、楽しくも試行錯誤の毎回です。
    特に気を使うのは、「誤解」されないとこですね。お客さんはそのデモが生涯で一度かもしれないので、少なくとも「間違い」、「介助犬はいやいややらさている」、「介助犬育成団体への誤解」など、否定的な印象を与えない様に言葉を選び、しかもタイミングよく発しないといけない。実はこんなようなことは私の過去にはない時間なので、毎回修行です。
    少なくとも介助犬とその育成団体の顔に泥を塗らない様に、ここまで私を教育して、お座敷に声を掛けて頂ける恩に感謝しないといけないと思ます。
    ゆり子さんのお仕事は、毎回厳しく「良い」「悪い」が評価されて、ご自身を振り返る事が出来るでしょうが、私の場合は、評価が曖昧なことが少し・・・です。
    自分を信じるしかないのでしょうね。

    お汁粉は、お食べになりますか? (笑)

  4. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    与六のクークーというイビキを聞きながら、今は公職選挙法の改正について原稿を書いています。足元と手元ではすごいギャップ(笑)
    いつも飼い主に肯定的でいてくれるので、動物には心が開けます。それが本音と建前を切り分ける人間となると、お腹の中は見えませんよね。でも対人間として、自分の立場が請負であろうが、ボランティアであろうが、所詮は同じだと思うのですよ。クオリティとは相手が決めるものでなく、自分が納得できるか否かです。納得できないものはどんなに褒めちぎられても、「きっとお世辞に違いない」と疑います(笑) だから行き着くまでは、どんどん試行錯誤してください。

    お汁粉、大好きです! 和の甘味はいいですね。今夜はネットで葛湯を注文しました。

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました