パソコンの前のニワトリ

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詞を書くときにいつも悩むこと。「夢」「愛」「明日」「希望」「幸せ」・・といった言葉をどれだけ織り込むかである。これらは使い古された言葉だけど、使わずにはいられない言葉。絵空事のようだけど、人間の真実そのものである。心の核にある言葉を光らせるべく、添えるエピソードやストーリーを練るのも物書きの作業だ。

 

オバマ大統領が24日夜(日本時間25日午前)、初の施政方針演説を行った。その要旨の最後にある「普通の国民の夢」というくだりは、さすがスピーチの名手ならではである。
「私は自分の人生で、希望は予想外のところから見つかるということも学んだ。着想はしばしば力や名声をもっとも持っている者からではなく、ごく普通の米国人の夢や野心から生まれるのだ。」

 

その一例として、サウスカロライナ州の壊れかけた学校に通う女の子のエピソードをあげている。天井から水は漏れ、壁は剥がれ落ち、近くを列車が通るたびに授業を中断しなくてはならない学校。切手を買うお金を校長に借りて、彼女が議会に送った手紙には将来の夢が書かれていた。
「私たちはサウスカロライナ州だけでなく、世界も変革できるように、弁護士や医者、あなた方のような議員、そしていつか大統領になりたいと頑張っているただの学生なんです。意気地なしじゃないんです」
(2009年2月25日13時59分 YOUIURI ONLINEから抜粋)

これを読んで、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏の著書『心に夢のタマゴを持とう』を思い出した。自分のこれからの一生の間にこれをやりたい、やり遂げたい、あるいは理解したいといった目標になる卵を3つ4つ、いつも大事に持っていなさいと語りかけている。なんと勇気づけられる表現だろう。

 

小心者である私にとって、「夢」を説くのは一大作業。
オバマ大統領や小柴昌俊博士のように壮大な夢を実現させた人生経験がないだけに、まだまだホンモノの域に到達できない。偽善者や評論家になっていないだろうかと、試行錯誤しながらアイデアを練る。

いつかは自信に満ちたホンモノが孵化するかな。文字を打っては消しながら、パソコンの前のニワトリは夢のタマゴを生み続ける毎日である。

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