原点は好きこそ物の上手なれ

広告

人間関係がぎくしゃくしたり、周りからトラブルが降りかかったり、今年も波乱万丈な日々が続いた。やけにならず丁寧に対応していれば好転すると知っていても、心の苛立ちを鎮めるのは容易ではない。
大酒をかっ喰らって正体不明になるのが良いか、HOW TO本を読み漁って解決策を探すのが良いか、結局は眠れないままズルズルと朝が来る。

 

でも平気。胸が苦しくて泣きたくて叫びたい時、それを脱却する解決策を発見した。
これは私にしか当てはまらないのだが、寝食を忘れるほどに文章を書きまくるのだ。
これまでの人生の1コマに脚色を加え、数々の物語を仕立てていく。売り物になるかは別として、PC向かってひたすら短編小説を書いていると、その間は悩み事がきれいさっぱり頭脳から遠ざかっていることに気が付いた。

 

文章を書くことは今まで私の天職でありながら、一番やりたくないことだった。
締め切りが近づけば苛立ちが増して七転八倒するくせに、なんとか逃げる理由を探す。観念してPCに向かう始点は、過去の経験から逆算したカウントダウン。こんなことなら早く書いておけば良かったと後悔しながら、頭脳に蓄積されたありとあらゆる情報を搾り出して一気呵成に仕上げるのだ。火事場の馬鹿力である。

 

しかし最近、自分の中に見つけた変化は「産みの苦しみ」ではなく「産みの楽しみ」。書くことが楽しくて仕方ないのだ。それは第一子の出産に苦しんだお母さんが、第二子は余裕で生めるといった心境に似ている。

 

世界未曾有の不況が吹き荒れる今、手に職があって良かったとつくづく思う。何の原材料も要らず、言葉を連ねるだけでギャランティを得る仕事がどれほど恵まれていることか。
万が一、あなたは要らないと切られて家を失くしても、食べ物以外に空腹をしのぐ手段が私にはあるということだ。
もっと的確な表現をしたい、もっと美しい比喩をしたい。服やバッグといったブランド品を買う興味は失せて、感性の財産を増やす欲が湧いてきている。

 

これは物書きという職業の一例だが、もしかしたら他の職業の人たちにも同様の意識革命が訪れているんじゃないだろうか。なぜその職業を選んで頑張ってきたか、原点に帰る心の時代が来たのでは?と思う。

好きこそ物の上手なれ。否、上手になれ。私は今、再度スタート地点に立っている。

コメント

  1. 素浪人 より:

    「〇〇の手習い」なれど、拙者も6月から好きなことを始めてしまった。
    周りからは馬鹿にされ、干され、呆れらるている。
    でも、拙者はこの分野(文章ではないです)で生きたいのだ。
    当然、専門家の経験・知識には及ばないが、他分野で苦しみもがいた経験はある分、広い視野でいられることが武器?…になるといいなあ。
    ああ~~~大先生のお力を…m(__)m

  2. yuris22 より:

    素浪人様

    新しいことへのチャレンジは年齢に関わらずワクワクしますね。昔と違って今はインターネットがあるので情報の入手も楽で安価になりました。

    >他分野で苦しみもがいた経験はある分・・

    もう下積みができていらっしゃるのですね。きっと上手くいきます。応援しています。

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました