夫の介護を「後妻業」とSNSで拡散されました

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とても暗い告白をします。書くことにより、心の重荷を取り去りたいと思っているので、アクションを起こすための内容ではないことをご理解ください。

木村佳乃さん演ずるテレビドラマ「後妻業」が高視聴率を稼いでいます。オリジナルは直木賞作家、黒川博行さんの小説ですが、内容の如何を問わず「後妻業」という言葉のイメージだけが先行し、私は大きな被害に遭いました。人生の汚点とまでなりました。

SNSのフォロワーが多い、親分肌の女性が公に発信した文面を転記します。
「テレビドラマの後妻業を観て思う。リアルは身近にいるのだ!!怖い世の中だな・・」
「近所の後妻業がギブアップしたというローカルニュースを聞いてホッと一安心。命拾いした貴方を想い静かに乾杯」

誰から何を聞いたのか、告訴していいレベルだと思いました。SNSアップの後に、私の名前を出して言い歩いているという複数の証言も得ています。

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ご近所の仲良しな男女が、1人よりは2人がいいねと入籍。役所に婚姻届けを出した翌日に、夫となった人は死ぬか生きるかの病気により入院して、5時間にわたる手術を受けました。執刀した医師からは「こんな腫瘍ができていました」と摘出した部位を見せられ、腫瘍を取り巻いていた神経が傷んだことにより、歩けなくなるかもしれないと言われたのです。

これこそドラマみたいな出来事。主治医は夫が要介護度が高くなる所見を書いてくれましたが、そこには裏がありました。後から知らされたことですが、一年前に脳梗塞を患っていた夫は血液がサラサラになる薬を飲んでおり、処方した脳外科医からは、その薬の効果が残っているうちに手術するのは危険だと、執刀医に意見書まで提出されていたのです。なのになぜ手術を待てなかったのか。夫の腫瘍は学会に出せば注目を浴びる、10万に2人ぐらいの珍しい腫瘍だったからです。

神経は傷つけても、骨盤内、そして腎臓に貼りついた腫瘍を取り去る手術は成功しました。でもそれから3ヶ月に及ぶ入院生活となり、夫の言動が日増しにボケ老人に向かっていくのが見て取れました。本人は強い鎮痛剤のせいで頭が変になったと言っていましたが、そんなレベルではなかったのです。遠い過去の自慢話はさんざん語っても、私が2~3分前に伝えたことを覚えていません。

右足の麻痺を、主治医は「リハビリですぐ歩けるようになります」と言いました。しかし歩けるどころか夫は、剣山のトゲが刺さったように痛くて、眠ることすらできないと訴えます。神経を取っているので痛みは感じないはずなのに、ともすれば足を切断した人よりも、動かない・痛いと訴え続けて、ベッドでゴロゴロしている毎日だったのです。

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私たちは直前に入籍していましたが、手も繋いだこともない関係のまま、こんな状況になりました。もちろん私の浅はかさが関係しています。思春期から浸ってきたカトリック教育の影響で、周りからは「マザーテレサ病」と言われる癖があるのです。

 

夫は両手に杖を持ってヨチヨチ歩きの状態で、12月30日に退院して、いきなり我が家の住人となりました。どう暮らそうかの取り決めもしていないまま、おんぶにだっこでやってきました。すぐにケアマネージャーや介護用品の業者が訪れ、家長の夫、彼を介護する妻という図式が出来上がったのです。世帯主は私であることに気付いてくれませんでした。

夫は脳血管性認知症(まだらボケ)です。生活費を入れてくれるわけでなく、もともと抱えていた発達障害のADHDが加速。瞬く間に家じゅうが物で溢れます。そればかりか、自宅に戻って必要なものを取ってくると出かけて行きます。大荷物を背負ってタクシーで家の前に着いたとき、自分がどこにいるか分からず、近所を2時間にわたって徘徊しました。その時の荷物を私が預かり持ったことから、貴重品を壊されたと責められました。

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12月30日から5日間、一緒に暮らしているときに感じたのは、言葉は悪いのですが「狂人の世話をしている」でした。食事を作り、掃除洗濯をし、夫が眠ってからやっとパソコンに向かって朝まで仕事をします。朝方・夜型生活どころか、不眠生活です。

彼はその間にトイレに行くため何度か私の横を通っても、全く気付いてくれません。「言うほど仕事なんかしていないんだよ」と、朝の7時から誰かに電話している声も聞こえてきました。〆切に遅れている原稿なのに、キーボードを打つ手が止まりました。
そしてその朝、私たちは考え直すべきだという夫の意見に従い、それぞれが以前の暮らしに戻ったのです。それからも夫からは私が物を盗ったとか、貸金庫に侵入したとか、怒鳴りつける電話がありました。本人からの依頼で行ったことさえ、彼の自筆メモを見せても偽造だと言われました。そんなやり取りをしている最中に、SNSで私を「後妻業」と揶揄する書き込みがあったのですから踏んだり蹴ったり。もう死んじゃおうかなと思ったほどです。

でも私の弱っちいところは、自殺する勇気がないこと。死んじゃうと思う瞬間がイヤです。なので誰かへの当てつけに死ぬなんてことは有り得ず、逆に見返してやろうと思っています。

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たかだか5日間を別々の部屋で暮らしただけで、婚姻関係は終了。署名して渡した離婚届を2週間以内に提出してくれる約束は、期限より遅れて、役所から届いた郵便物で知りました。それでも提出を忘れないでいてくれたことを良しとして、これからは平行線を辿るのみです。

冬が終わり5月になれば、平成が次の元号に。平成はバブル崩壊やリーマンショック、阪神淡路大震災、東日本大震災と、未曽有の出来事がありすぎました。次の元号は、幸せなことしか起こらない時代になって欲しいと思います。

ちなみに後妻業とは資産家のヤモメを狙う女のことですよね。クレジットカードは切られ、健康保険を滞納し、年金すらまともに貰えていない要介護4で血管性認知症の老人を家に引き取とって、物取られ妄想により攻撃を受ける生活が後妻業でしょうか。

この一件で、認知症患者の家族たちがどれほど精神的苦痛を味わっているかを共感しました。他人は面白おかしく、噂を広めて人を批判します。

 

あー、ネガティブなことばかり書いてしまった・・
この末尾まで読んでいただいた方は、私が「王様の耳はロバの耳」を吐き出すことをお許しください。根っから楽天的に生まれているので、必ず元気になりますからね!
 
追記:
驚くしかない後日談です。私のヨット仲間が、元亭主の真向かいに住んでいたのです!
で、元亭主は杖もつかず、すたすた歩いていたそうです。しかも介護シューズを外にほっぽらかしていたとか。詐欺師だったと再確認しました。
 
追記2:別れて半年後
バス停で元夫が前に立っているのを目撃してしまいました。大きなリュックを背負って、私が買ってあげた折り畳みの杖が差してあります。家に来たときには、どちらの足から踏み出すのも分からない様子で首を傾げていたのに、バスのステップを普通に上がって行きました。彼は駅の3つ手前のバス停で降りましたが、杖はつかず、普通に歩いているのにビックリ。どこが要介護度4なのでしょう。
 
要介護度4は「食事、排せつ、入浴といった日常生活全般において全面的な介助が必要である」ことで認定されるもの。彼の手術を執刀した先生が「意見書におまけしておいた」と言っていましたが、ひいき目に見ても要介護どころか、要支援の1程度です。
ちなみに要介護度4では月額316,000円のサービスが受けられ、自己負担は1割の36,065円。リハビリ施設で一日が過ごせて、家にいるときには宅配弁当サービス、家事代行サービスも受けられます。彼の年金は微々たるものなので、ケアマネさんや医者の前で歩けないふりをしていれば、家計の助けになるはずです。脳血管認知症と思っていましたが、やっぱり詐欺師だったんでしょうね。

コメント

  1. 落合 より:

    かなり昔からブログ拝見していて
    また違うサイトのブログ拝見してて。。。。。。
    かなり昔からのファンだったのですが。。。。。。
    今回はかなりショックだったと思います。
    いつまで応援していますので双方のブログともども
    続けてくださいね。
    宜しくお願い致します。

  2. yuris22 より:

    落合様
    いつもお読みいただいてありがとうございます。
    振り返ると、去年から今年の立春までは悪夢の中におりました。
    それでも身に降りかかっている災難を、他人事のように観察している自分もいて、ショックの分散ができています。こんなときこそ物書きでいて良かったと思います。
    今は心のリハビリ中ですが、無理せず、ゆるゆると元気になります。
    応援してくださることに感謝!

  3. 落合 より:

    頑張ってくださいね。
    僕もブログやっています。
    よかったら見ていただいたらと。。。。

    https://plaza.rakuten.co.jp/seiji2007/diaryall/

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