昨夜は恵比寿ロータリークラブ主催の「ポリオ絶滅支援チャリティーコンサート」があり、人気・実力共に日本を代表するヴァイオリニスト、徳永二男氏の演奏を聞いた。
彼の略歴は1966年に、当時日本音楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。
’76年にはNHK交響楽団のコンサートマスターに就任し、退団後はソロ・室内楽に専念して数多くのリサイタルを行っている。
昨年、楽壇生活40周年を迎えたというキャリアは、立ち姿も堂々としてオーラに満ち溢れている。
最後の曲は、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。
ドイツ語で「ジプシーの歌」という意味のこの曲で、徳永氏の指先からつむぎ出される、すすり泣くような繊細な弦の響きは、クラシックに慣れていないお客様までも息を呑むほどだった。
スタンディング・オベーションをしたかったけれど、誰かが立ち上がらないと自分からは勇気が出ない。
そんな日本人らしさ(?)を皆が後悔しつつ、コンサート終了後の親睦カクテル・パーティーでは、後から入場してきた徳永氏を大拍手で迎えた。
とても親しみやすいスピーチの中で、印象に残った言葉。
演奏会場である「白寿ホール」について、その音響設備の素晴らしさに触れた時だ。
「このホールはとても良く音が分離します。」
「弱音(じゃくおん)を拾うので、指が弦に当たっただけでも音が伝わるんです。」
クラシックの演奏は、エコーが聞いて歌が上手く聞こえる「お風呂屋さん」のような場所では向いていない。
繊細な生の音をいかに一番後ろの客席まで伝えるかが、良いホールの条件だと言う。
確かに、マナーモードにしている携帯電話が振動する音まで、はっきりと周囲に聞こえたのには驚いた。
それにしても気にかかる「弱音を拾う」の言葉。
コンサートホールが会社だとしたら、楽器から出る音は社員たちの声。
私は彼等の弱音を拾っているだろうか。
それは心のつぶやきでもあり「よわね」でもあり、なかなか幹部のところまで届かない。
昨日会社を出掛けに、2月いっぱいで退職する社員に出会った。
「肥りすぎて膝を悪くしちゃったんで、しばらく休んでダイエットに励みます。」
申し訳なさそうに照れ笑いする彼に、
「また戻ってきてね。待ってるからね」と伝えた。
再入社してくれる時までに、もっと音を拾う会社にしておくのが私の務めである。
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