困ったときの神頼みという言葉がある。そう簡単に願いは叶わないと皆は言う。
では毎日お祈りを捧げていれば良いのか。それで神様が頭を縦に振ってくれるなら、誰もが仕事などせずに朝から晩まで拝み続けているだろう。
アセンションに端を発した予言ブームの中で、近頃また脚光を浴びている「日月神示」という神典がある。神典研究家で画家でもあった岡本天明氏が、高級神霊から降ろされたメッセージを昭和19年から16年間に渡り自動書記で綴ったものだ。
この中に、ご利益を早く求めすぎるなと忠告した文章を見つけた。
「神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしに任せるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう」
「神は人間を根本から永遠の意味で良くしようと、まことの喜び与えようとしているのぢゃ。局部的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ。おかげは、すぐにはないものと思え。すぐのおかげは下級霊。まゆに唾せよ、考えよ」
(「日月神示 完全ガイド&ナビゲーション」中矢伸一著より引用)
人生は思い通りにならないから、なんとかしようと生きていける。
もし未来永劫、人生が思い通りになると確約されていたら、果たしてそこに喜びや楽しみはあるだろうか。生きていく意味は見つかるだろうか。
神頼みをする人々はまだ恵まれていると、ある宗教家から聞いた。その暇があるからだ。彼らが神と呼んで頼ろうとしているものは、 実はお金や他人の力かもしれない。
それならどこに神は存在してるのかと言えば、たぶん自分の心の中だ。良心を通して対話し、自分が成長することによって願いが聞き入れられる。日月神示が教えるように、自ら最善を尽くすしかないのだと思う。
水に溺れると苦しい。苦しいからもがいて泳ぎを知る。でも泳ぎを知れば未知なる楽しみが広がる。そして泳ぐのは他人ではなく、自分自身だ。
雨のち晴れ。涙のち笑い。苦しみのち喜び。不幸のち幸福を信じて、今はもがき続けよう。
コメント
「思う通りいかない」が当たり前と思えば、少しは楽になりますね。でも日々「もがき続ける」と…たまには休みたくなるなあ。
素浪人様
> でも日々「もがき続ける」と…たまには休みたくなるなあ。
はい、そのためにお酒があると思っております。飲みすぎると溺れるのが難点ではありますが・・^^;