友だちができない若者たち

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5月25日号のAERAに「GW退学を防ぐ大学お友達対策」という記事が載っていた。入学直後のサークル勧誘などで友だちが作れなかった学生が、GWを過ぎると中退するケースが増えているという。経営難に悩む大学では中退防止策として、学科で挨拶・自己紹介のしかたを教えたり、ゲーム形式の友だち作りプログラムを実践したり、まるで幼稚園か小学校かと見まがうほどだ。

友だちがいないと大学に行きづらい理由。今の若者は孤独が嫌なのではなく、1人でいることを見られるのを恐れているという。

例えば「ランチメイト症候群」。学校や職場で一緒に食事をする相手(ランチメイト)がいない自分は、人間として価値がないのではないかと恐れる精神症状だ。1人で食べているところを見られないように、トイレに隠れて食事をする「便所飯」という言葉まであるらしい。
中には薬指に結婚指輪のようなものをはめている学生もいる。ナンパの虫除けではなく、自分は1人じゃないという無言のアピールだ。

思い起こせば小学6年生の一学期、私も似たような症候群に陥っていた。左膝が骨膜炎になって療養生活をしていたあと、クラスに復帰すると幾つかの仲良しグループが出来ていた。昼休みには校庭に駆け出す彼らに「私も入れて」と言う勇気がなく、独り教室に残って5時間目のチャイムが鳴るのを待ちわびていたものだ。運悪く先生に見つかると、慌てて机の陰に隠れて「かくれんぼをしてるんです」と嘘までついたのは、便所飯に通じるものがある。

当時は登校拒否になりそうな心境だったが、中学受験という目標で何とか切り抜けた。しかし年齢を重ねるごとに図々しさが増してきたのか、今では性別・年齢・職業に関係なく、「何してんの?」と誘ってくれる友人たちが沢山いる。
彼らに私から連絡して断られたとしても、自分に魅力がないからだなんて卑屈な考え方はしない。たまたま向こうに用事があっただけ。また明日誘えばいい。

友だち作りは簡単だ。本を伏せ、iPodのイヤホンを外し、携帯電話を閉じればいい。自然な自分の表情で「今日は暑いよね」「この授業、よく出てる?」など、きっかけの一声だけ発すればいい。見た目がよほど危険でない限り、相手は自分のことを疎んじていないし、声をかければ答えてくれるのが人間だ。一言は二言になり、次に会った時には三言になって会話が続く。

行動を起こす前に、失敗をなぜ恐れる? 卑屈な思い過ごしほどネガティブなものはない。
「上手くいく」「大丈夫」「楽しい」とポジティブな言葉を、おまじないのように心で繰り返していれば、きっと幸せは返事をしてくれるはずだ。

コメント

  1. yokoyoko より:

    同感で~す!
    AERAにそんな記事が載ってたんですね。
    「友達ができない」「一緒にランチをする友達がいないので、今日はランチ抜き」・・・私のところにも相談に来る大学生がいます。
    そのたびに、あれっ?小学生だっけ?と思いつつ、おまじないの言葉をかけていま~す(笑)。

  2. yuris22 より:

    yokoyoko様

    今の若い子たちって、何かにつけて「待っている」子が多いですよね。友だち作りとは、誰かが声をかけてくれるのを待つことだと思ってる。少子化になって親が構いすぎた影響なのでしょうか。「自分探し」じゃなく「他人探し」のために、荒野に旅立たせなくちゃいけません。

  3. より:

    主体性がないからプライベートも充実しないし友達も出来ない
    プライベートが楽しくないから勉強する必要性を感じらないが生活する為に渋々勉強をする…しかし苦痛でしかない
    苦痛と楽しくないモノに挟まれた状態で勉強意欲なんか沸くわけない

    「友達が出来ない」は問題の本質じゃないんだよね
    やり場の無い不快感とそれからくる怒りを感じながら生きてる

  4. yuris22 より:

    あ様

    最近は「叱られたい」若者が増えてきたと聞きます。「怒る」ではなく「叱る」行為には人間の愛情が込められているような。大家族で暮らしていた時代には当たり前だったことが今は希薄になっています。

  5. yuris22 より:

    あ様

    最近は「叱られたい」若者が増えてきたと聞きます。「怒る」ではなく「叱る」行為には人間の愛情が込められているような。大家族で暮らしていた時代には当たり前だったことが今は希薄になっています。

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