近すぎて見えないもの

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毎日見ているから見落とすもの。近くにありすぎて見えないもの。そんな存在に時々ハッと気付く。

先週は風邪をひき、寝たり起きたりの一週間だった。久しぶりに外に出て(ゴミを捨てに行っただけだが)部屋に戻ってくる時、二つ並んだ丸いシルエットに気が付いた。植木屋さんが丁寧に刈り込んだギンモクセイと、もう一本は・・。これも近くにありすぎて木の名前さえ気にかけていなかった。ほぼ毎日、横を行き来しているのにどうして気付かなかったんだろう。

植木

奥さんと10年以上別居して、やっと離婚に同意したという友人がいる。サインと捺印をした緑の用紙を奥さんに渡し、昨年末に彼女の方から役所に届け出るはずだったのが滞ったまま。「仕事が忙しくて役所に行ってる暇がないのよ」との電話一本で、2人は現在も夫婦でいる。

お節介な仲間たちは「離婚届を前にして未練が湧いたんだ」と推測し、彼の方は「えー、何を今さら」と否定する。未練という言い方が正しいかどうか分からないが、離婚届を手にして改めて見えた夫の存在に躊躇しているのでは?と私は考える。

ある日突然、理由も告げずに蒸発した夫を探して旅に出る妻の物語、『ノンストップ・ガール』という映画がある。旅の末に、やっと探し当てた夫が語った蒸発の原因は意外なものだった。仕事が上手くいかない原因は妻にあると思って逃げ出したのだ。
「相手に運を吸われていると感じたことはないか?結婚してから風向きが変わったんだ。君への愛でね」
「君と離れて幸運をつかむための場所を探さないと、いつまでも泥沼だ。」

妻は仕事で功績を上げ、家庭ではダメ夫を愛して尽くす可愛い女。毎日チュッチュしていた存在が逃げ出すとは思ってもいなかった。尽くされすぎて居場所をなくした夫の心が、近すぎて見えなかったのである。後悔した妻はラストには新たな道へと踏み出す。

話を元に戻し、離婚が宙ぶらりんの友人。よく働き、家事も上手にこなし、性格もおだやかな献身的な夫。そんな心地よい場所から逃げ出した妻は、離れても夫は自分を愛しているはずと高(たか)をくくっていたのかもしれない。それがまさかの離婚届とは・・。映画と違って結論はまだ見えない。

どんなに慣れ親しんだ相手でも、ペースがずれていくことがある。自分勝手な思い込みをしていないか、時々は立ち止まって相手を眺めることが必要だ。

我が家の玄関先にあるギンモクセイは、秋になれば芳香を放つ。それはちょくちょく刈り込んでくれる植木屋さんの手が咲かせる花だ。近すぎて見えないものを失くさないよう、誰かの存在を軽んじないよう、花は必ず定期的に咲くものではないと心に念じていよう。

コメント

  1. muha より:

    度々すみません。とても共感致します。実は当邸のシラメガシも、知らぬ間に、切り株にされてしまいました。皮肉にも、漢方でシラメガシを頂く羽目に~形式にとらわれますと真実を蔑ろにしてしまう戒めに致しますね。

  2. yuris22 より:

    muha様

    シラメガシって漢方に使われる木なんですね。知りませんでした。大切な木だったんだよーとの念が残って、形を変え戻ってきたのかもしれません。

  3. marie より:

    夫婦だから、恋人だから、友人だからいつも一緒に居るものではないですよね。
    同居をしてても別行動することは「あり」ですよね?
    私の同僚や上司は夫婦で休みが一緒だったら必ず「一緒」が当たり前の人がいます。
    その人達に言わせれば「何で休みが一緒なのに別行動なの?信じられない」といった言い方をします。
    私にすれば、日中にお互いに別々にしたい事があれば別に行動し、夕飯までに帰ると言う感じです。
    誰でも一人になりたい時ありますよね?

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