人生の別れと出発点

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高齢者施設に入所している父の脈拍が遅くなり、心電図をとった結果、ペースメーカーを入れることになった。今日手術をして、10日ほどの入院となる。植え込み手術そのものは簡単で、患者の苦痛も非常に少ないというが、電話口の父は慌てふためいて「俺、死んじゃうんだよ」と切迫した声で私に訴えた。

 

手を取って「大丈夫よ」と安心させたいけれど、それを遮断するものがある。父に寄り添い、ボソボソと何かを示唆している女性。ブログに昨年何度か書いてきた継母がまるで腹話術師のように、父の口から猜疑心に満ちた言葉を吐かせる。
「お前は俺が死んだほうがいいと思って、入院させないと言ったのか」
寝耳に水。正反対に捻じ曲げられた事実には、悪意しか感じられなかった。

 

老人性うつ病患者であり奇行を繰り返す継母への対処方法については、親切な方々から沢山のアドバイスを戴いた。『認知症と依存症の冷蔵庫』というタイトルで最後に書いたのは9月10日。施設のスタッフに聞けば年が明けた今でも、禁止されている食べ物を父の居室に持ち込んで、隠れて幾らでも食べさせているという。嚥下性肺炎の原因になるときつく告げても、「お腹が空いて可哀想なのに、ここの人たちは気付いてくれないのよ」と喰ってかかる。スタッフは妻と娘の板ばさみになって、困惑するばかりだ。

 

土砂降りの東名高速、昨日は御殿場まで運転して岩満羅門先生を訪ねた。父母の件をとつとつと話した後、それだけで心が軽くなる。先生の「どんなに愛しても、人間は絶対に死んでしまうものなんです」との言葉に自ずと結論が見えた。

 

父を病院のベッドに縛り付け、寿命が10年延びたからといって幸せだろうか。もちろん本人は死にたくないだろうが、妻と選んだ女性の意思によって間接的にも死が訪れるのなら本望じゃないだろうか。

 

元気な頃は愛人を何人も作り、家庭を振り向かなかった夫。やっと自分の思い通りに出来る男を、たと娘にだって邪魔されたくない。皺くちゃの老婆になっても「女」でいる継母の思い通りにすればいいのだと、私はトライアングルから抜ける決心をした。

 

法律では医療行為への同意権は、基本的に本人にあるという。うつ病であろうが呆けていようが、老い先短い夫婦なら2人で考えていけばいい。例え明日亡くなったとしても、私はそれを受け止めよう。

 

相談事が終わって、羅門先生からは未来に関する素晴らしいアイデアを戴いた。この一年で悪い縁を断ち切った後の人間関係が全て繋がり、住んでいる場所、学んできたこと、書いてきたこと・・、どれもが計画にリンクしている。これから沢山の困難が待ち受けているだろうが、石ころは笑いながら蹴飛ばして行けばいい。これからの人生を楽しんでいけばいい。

雨が上がり、聖尊寺を出たのは午後4時過ぎ。空気の密度いっぱいに、雨に洗われた森林の匂いが立ち込めている。洗濯し直した私の心もまた白く新しくなった。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    あたらしい誕生日おめでとう!
    あなたの明日にカンパイ!!

  2. ツネ2 より:

    老いた方たちを見て最初区別がつかなく戸惑いがありました。
    しばらくするとそれぞれの方の区別がつきました。

    最近思うのはこんな方たちが可愛く思えます。

  3. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    ありがとう!素浪人さんも渋滞から抜け道を探して、スイスイ走って下さいね。

  4. yuris22 より:

    ツネ2様

    父が入所している施設では、外に出るわけでなく彼ら(彼女たちも)が同じフロアーで同じ生活を送っています。「こんにちは」の代わりに「来る途中で桜が綺麗でしたよ」とか「あら素敵なセーターですね」とか声をかけてあげると、ハッとした表情の次に、とても可愛い笑顔が現れます。たとえ痴呆症であっても言葉は判る。毎日の小さな変化が必要なのだと思います。

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