感情をあらわにしないこと

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いつのまにか自分に訪れていた変化。それは怒りという感情を抑えられるようになったことだ。人は人、自分は自分で、上下なんてないのだから比較する必要がないと思えば、スーッと気が楽になる。波風の立たない心は、晴れたお彼岸の昼下がりみたいで、まったりおっとりしている。

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先日、バスに乗ったときのこと。大きなスーツケースを引いた若者二人が乗り込んできた。後ろの座席では荷物が置けないと思ったらしく、シルバーシートに並んで腰を降ろした。すると私の前にいる高齢のご婦人が彼らをあからさまに睨み付け、小さな声で非難しているのが聞こえてくる。

喋るのに夢中な二人はそれに気付かず、幸いにもお年寄りが乗り込んでくることはなく、やがてバスは終点に着いた。ご婦人は最後の一瞥を下して降りていったが、ずいぶんと無駄な時間を過ごされたように思う。

夏から秋へ移行する車窓からの眺めは、青空に絹糸みたいな雲が美しく、空き地には曼殊沙華の赤い花が咲き始め、ぼんやり眺めているだけで心が穏やかになる。
それなのに、自分に害があるわけじゃない他人の行いに腹を立て、お年寄りが乗ってくる(かもしれない)未来にイラつき、一人で自分の人生をつまらなくしているのだ。トゲだらけの剣山みたいな心では、ぺんぺん草さえ生える余地がない。

トラブルは何も起きていない。妄想を棄てて、単に現在の事実だけを認識していたら、どんなに世界は生きやすい場所になるだろう。

こんなことを考えながら、今は都内へ向かう横須賀線の中。隣で眠りこけている女性が傾いて、私の肩にもたれてきた。
疲れているんですね、どうぞ気持ちよくお眠りください。目くじらを立てず、頬笑む心を持てば、今日も穏やかな一日になると確信している。

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