いつ頃からだろうか、親を呼ぶときに言葉に詰まるようになっていた。
人前で「パパ、ママ」と呼ぶことが恥ずかしくなって、やがてそれは本人に対しても言えない人称となった。
周りのように「お父さん、お母さん」にスライドすれば良かったものを、照れくささが邪魔したのだ。
じゃあ何と呼んだか? 家を去った母には必要なくなったが、父に対しての呼び方だ。
遠くからの声をかけるときは「ねえ」だったり「ちょっと」だったり、どうしても主語が必要なときは「会長」もしくは「○○○夫さん」。会社での呼び名や氏名をそのまま使った。
なるべく呼ばなくて済むようにと、文脈を工夫して喋る変な癖までついて、親を呼ぶことは苦痛にまでなっていた。
このお正月、知人の母子とご一緒して驚いたこと。
お母様を「オフクロ」と呼んでいるのが、いつから始まったのか、とても自然だったことだ。
孫が生まれていれば「おばあちゃん」に移行している家もあるだろうけれど、「オフクロ」には親子の歴史といおうか、臍の緒で繋がった深い愛情を感じた。
そんな印象が残ったまま先週、介護施設にいる父を訪ねた。
会話している最中に、どうしても父を呼ばなくてはならない状況が出てくる。
今まではありえなかったこと、不思議にスッと「お父さん」が口から出たのだ。
娘の初めての呼びかけに驚くでもなく「うん、うん」と答える父。
なあんだ、こんな簡単なことだったのかと、長いわだかまりが雪のように溶けていった。
この何十年も「あの」「ちょっと」で通してきた分、あとどれだけ「お父さん」と呼べる時間が残っているだろう。
先週の呼んだ回数は2回だったけど次は倍になり、その次はもっともっと。
日本人のDNAが引き継いできたシンプルで温かい響きは、心の中で一年中の春である。
コメント
私もいつからか両親を「オヤジ」「オフクロ」と呼んでますね。
是非出来る限り「お父さん」と呼んでくださいね。
僕もきっと娘から「お父さん」と呼ばれたら
「何か理解してくれたかなァ」と涙が出るかも・・・。
>心の中で一年中の春である。
本当によかったですね。
僕は中学だったか高校だったか、お父さん、お母さんと呼ぶのが気恥ずかしくなって以来、「オヤジ」「お袋」に変えました。
娘を持つ父親としては、お父さんでもパパでもオヤジでもいいですけどね。なぜなら、彼女にとってそう呼べる人は僕しかいないわけですから。それだけで嬉しいです。
おはようございます。朝吹龍一朗と申します。
プロに「うまい!」とほめても褒めたことにはならなのでしょうが、素直に読める文章だと思いました。
うちは小学生までパパママでしたが、中学に行くころからオヤジオフクロに変えました。でも年老いてからは父親はオヤジのままですが、母親にはなぜかちゃん付けで「オフクロチャン」になりました。もう呼んでも答えてはくれませんが。
亡くなってから思い出すのは、ママでもオフクロでもなく、オフクロチャンという響きと在りし日の姿です。
馬鹿な母親でしたが、同じく馬鹿な息子をとことん信じ、愛してくれました。
これからも寄らせてください。
素浪人様
「お父さん」と呼べたことで、心の距離が一気に狭まった気がします。
最近は「ありがとう」も自然に言えるようになりました。とても気持ちのいいものですね。
たけぞう様
今思えばなぜ「パパ」と呼ばなくなったか。
親子でなく、違う意味に取られたらマズイと思ったからなんです。
デパートでおねだりする時なんて、絶対に間違えられるし(笑)
日本語は複雑です。
朝吹龍一朗様
いらっしゃいませ(^_^)
「オフクロチャン」。可愛い呼び名ですね。
私は再婚した母と逢う事はないのですが、生きていてもすっかり記憶が
遠のいてしまいました。
名前とは呼び続けてこそ、存在するものなんでしょうか。
朝吹さんはお母様をいつも心の中で呼び続けているんですね。