20代の、しかも有名大学や大学院を出た高学歴の女性に「専業主婦願望」が強まっているという。余裕を持った子育てのためかと思えば、本音は「働きたくない」「寝ていたい」「日中テレビを見ていたい」など、夫の稼ぎでラクしたい願望が見え隠れする。
人生これからという若い女性が、まるで世間に疲れ果てたオバサンだ。これは数年前、とある番組で大手結婚相談所を取材したとき、キャリアのある中高年女性たちから聞いた結婚願望と似通っているのに驚いた。
彼女たちの出す条件は現実的だ。結婚相手には長男でないことを一番に望み(親の面倒を見たくないから)、一人住まいであっても賃貸マンションはパス。ルックスや年齢は二の次で、学歴と収入を重視する。結婚後は仕事を辞め、生活もお稽古事も夫の資産でまかなってもらう。
大手企業の役員や、貸しビルの家賃収入で食べているなんて男性がいれば、歳が一回り上であろうが構わない。パーティーや二次会で積極的なアプローチをしかけていくのだ。
高価なロレックスを見せびらかすオヤジの争奪戦。傍目で見ていた地味な女性が呟いた。
「私は一緒にいて楽しい人がいいわ。偉そうじゃなくて、同じ高さに居てくれる人」。
商業高校を出て、小さな食品会社の事務をしている彼女は、40歳を過ぎても結婚経験はなく、兄夫婦のマンションに身を寄せている。帰る実家もなくて老後が不安であるけれど、結婚相手にはお金よりも愛情を求めたいという。
もともとプライドなんて不要なので、履歴書にはこだわらない。お見合いパーティーで意気投合した男性は3つ年下で、建設会社の臨時作業員であったが、あっという間に新婚生活を始めた。都心から遠く離れた公団住宅に住み、仕事はパート勤めに変えた。休日には電車を乗り継いでディズニーランドに行ったり、新宿のソウルディスコで踊ったりが楽しいという。
対照的な女性たちを見ながら、実を言えばどちらも気がかりであった。「ラクをしたい」か「たのしい」か、どちらも「楽」が目的の結婚だからだ。不安定な世の中いつ「苦」に転じるかもしれないのに、その時には相手のせいにするのだろうか。夫が脳卒中で倒れて介護が必要になった時、自らの手で経済と愛情を支えていけるのだろうか。
結婚に失敗したら離婚すればいいと軽く考えている人の割合は、1979年には23%だったのに対して現在は54%だという。結婚とは神聖なものではなかったのか、私の頭には理解しづらい昨今の結婚事情である。
コメント
ゲェッ、ホントですか~?! 驚きますね~^^;
確かにお金は無いよりあった方が好ましいとは思いますが、夫の資産を当てにして自分の人生を賭けるのはシンデレラガールを夢見ている貧困な発想ですよね。
仏教の教えでは夫婦という縁は、自らの魂に欠けているところを修行する相手だそうです。「苦楽を共にする」というように「苦」があってこそ、初めて「楽」があり「苦」の方がはるかに多い。
夫婦となって30年の実体験で、何度別れようと思ったか知れませんが、今だに一緒にいる理由は、離婚するエネルギーを費やすよりも足りない自分を変えていく生き方を選んだから・・・。
昨今の結婚事情に「契約結婚」なるものがありますが、条文には生活費の額や習い事の約束も含まれているのですかね~
yuriさん同様、何とも理解しがたい時流です。
*20日、楽しみにしていますね^^
結婚に対する考え方、見方と随分と変化していますね。
当人たちの考えはもちろん、数年前までは「結婚が常識、女の幸せ」なんて口うるさく言っていた親戚でさえ、今では「晩婚でも、再婚でも、離婚でも何でもオッケー」なんて言い出す始末。どうせなら数年前から言って欲しかった言葉だ(笑)
私は現在は自分の収入と夫の収入とで生活していますが、この不況の中いつ専業主婦になる事かとひやひやしています。
ホント、仕事を持ちながらの結婚生活、子育て、家事は大変ですが、仕事があり、収入がある事の有難みをすごく感じています。
「楽」はオフの日にするのがベストだと思います。
渡辺孝子様
淋しい言い方かも知れませんが、最終的に頼れるのは自分しかいないと思います。一人で生まれ一人で死んでいく人間。その道のりを共にした誰かとは盟友であり、おんぶだっこする依存関係であってはいけない気がするのです。
男だから女だからは凹凸の問題であり、種の保存に関しての法則です。それを分っている同士がお互いを尊敬しあって分け合って生活するのが、神様が認めてくれた夫婦だろうと思うのです。
人は生まれながらに平等であり、人という文字は持たれかかって立っています。俺のおかげで立っていられると思え!とか、あなたがいないと死んじゃう!とかは共依存。一度きりの人生で、私は本当に本当に本当に・・何が大事なのかと模索しています。
marie様
口うるさいご家族やご親戚に囲まれた環境がいかに腹立たしいか、marieさんの胃の痛みを御察し致します。いつになれば、耐え忍んだ日々がむくわれるのでしょうね。
ホッとしたときには老い過ぎて、誰も見舞いに来てくれないベッドで天井を見ているのかもしれません。だからこそ後悔しないように、身勝手と思いつつ私は今を生きようと思います。
人生とは他人のためにあるのでなく、自分のためにあるのが筋じゃないかな。取捨選択をすることは胸のトゲになりますが・・。人生って、たどたどしいですね。