朧月夜と菜の花畑になりたい

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柔らかな明かりに空を見上げたら潤んだ月。ベランダに出ると何処からともなく花の香りがする。なんて優しい春なんだろう。

菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

 

思わず口ずさんだ「朧月夜(おぼろづきよ)」はいつ覚えたのかワンコーラスを間違えずに歌えた。作詞した国文学者の高野辰之氏は、大正時代に長野県飯山市で教師をしていた頃、印象に残った菜の花畑からこの歌を作ったという。菜の花の色や香り、頬を撫でる風の感触など、生き生きとした五感が伝わってくるのは癒しの歌そのものだ。

 

今年は仕事が忙しくて菜の花畑も桜並木も見られなかった。天気予報では今日、5月並みの暖かさを迎えたと言っているが、腰部脊柱管狭窄症という職業病を患ったせいで外に出られず、気温の感覚が分からないのでベッドの布団も重たいままだ。歯を食いしばり、左足を引きずって家の中を歩く生活はいつまで続くのだろう。

それでも幸せなことが2つ。去年よりもずいぶん遅れて一歳桜の蕾が膨らみ、もうすぐプチお花見が出来そうになった。

そして私の病状を心配して下さったご近所さんから、足腰に効くというドリンク剤の差し入れがあった。

リビングには散歩仲間から届いた黄色いバラ。洗顔後のお手入れには美容関係の友人から貰った化粧水。FaceBookのメッセージには歩き方や靴のアドバイス。励ましを沢山戴いて、ひとりぼっちじゃないことを実感する。家族はいなくてもこんなに優しい友人たちに支えられているのはどうしてだろう。この状況を「ゆり子さんの人徳ですよ」って誰かが言っていたけれど、私個人は人徳なんて素晴らしいものは持っておらず、きっと織田家のご先祖様が積み重ねてくれたご苦労のおかげなのだと思う。これを私一代で無駄にしちゃいけない。

 

みんなを柔らかい光で包み込む朧月みたいな存在になれるだろうか。
みんなに春の慶びを届ける菜の花みたいな存在になれるだろうか。

神様か仏様か分からないが、誰かが私に課した責務を生命がある限り全うしなければ、我が家の次世代が幸せになれない。だから健康にならなきゃいけないし、逃げてはいけないし、人を許さなきゃいけないのだ。

受け売りのスピリチュアラーを気取っていた頃から脱皮できたかな。もっともっと苦しむ日々は続くけれど、言葉など発せずとも周りが微笑んで幸せになってくれる、朧月夜や菜の花畑になれたら本望である。

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