世の中捨てたものじゃない

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日本の自殺者数は10年連続で3万人を超えているという。交通事故の死亡者よりも数が多く、国際比較した自殺率はアメリカの2倍以上というのは異常だ。

エコノミスト誌の記事によれば、日本人には自殺を運命と受け入れる高潔なサムライ的価値観があるのではないかと推察し、さらには宗教も要因に挙げている。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は自殺を絶対禁止としているの対し、日本人の多くが信仰する仏教や神道は自殺を基本的には悪としていないからだ。

真宗大谷派(東本願寺)のサイトを見ると、自殺者の増加を一大事としながらも、死の選択に他人がどうのこうの言える筋合いはない・生の方が絶対によいのだという保証もないとし、以下のような解釈をしている。

『蓮如上人は「後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」(『白骨の御文』)と語られています。この「後生の一大事」を私は「浄土に人生の最終的な結論がある」と受けとめています。つまり、これをひっくり返せば、この世に人生の結論はないということになります。あくまで、過程(プロセス)であって結論ではない。人生の様々な出来事・事件があっても、それを結論としない。この命が終わるときに人生の最終結論は出るのだと受けとめれば、生きることに幾ばくかの余裕が生まれてくるように思えます。』
東本願寺 – 仏教語 – 一大事より引用)

この説を鬱病の人、生活苦の人が読めばどう捉えるだろう。浄土(仏の国)に結論があると考えたら、早くそちらの世界に行こうと誤解するのではないだろうか。高齢者(特に60歳代)の自殺者が多いというのに、さらに浄土特急の乗客を増やさないだろうか。

そんな一方で、東京近郊の僧侶たちが「自殺対策に取り組む僧侶の会」を運営しているというニュースを見た。浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、臨済宗、真言宗など超宗派の僧侶が会員となり、主な活動として『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』という文書相談を行っている。お寺さんは高くつくというイメージを払拭した無料相談であり、辛い気持ちや不安などを手紙に書いて送れば、1週間程度で僧侶からの返信が届くそうだ。

往復書簡とはなんと的を得たアイデアだろうと思った。電話と違い、手紙は書いている本人が自分の気持ちを客観的に見つめることができる。返事が来るまで待っていようという余裕が生まれる。届いた返事を繰り返し読み、言霊としてお守りとすることも出来る。

自殺志願者にとって、今までと全く違う世界の人との間に生まれた縁は、暗闇にさす1本の光になるかもしれない。会員がもっと増え、心が綴った文章が1人でも多くの命を救えるように、物書きの端くれとして強く願っている。

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