私の携帯電話には、方位磁石のストラップが下げてある。外出先で大地震に遭遇したとき、自宅まで帰り着くためであるが、自他ともに認める方向音痴のお守りでもある。
実りの秋が来ると、必ず思い出す方向音痴事件。それは岐阜県恵那市での出来事である。前日に名古屋でのコンサートの仕事を終え、大盛況だったお礼にと、主催者の友人が松茸狩りに連れて行ってくれることになった。
生まれて初めての松茸山。汚れてもいいジャージに着替え、20人ほどのお客が麓に集合する。「1時間たったら合図の音を鳴らしますので、またここに集合してください。それからお風呂に入って、松茸のすき焼きを召しあがって頂きます」と説明を受け、ヨーイドンで一斉に山に分け入った。
山荘のおじさんが後で、食べられるキノコを選り分けてくれるというので、とりあえずは目についたキノコをビニール袋に入れていく。しかし松茸だけは、赤松の周りを地を這うように探しても見つからない。さらに困ったことには、だんだんと山を登っていくにつれ、周りに人影はなくなり、自分がどの方角から来たのか見当が付かない。
腕時計は、集合時刻まであと5分。これは大変だ! 山の頂上から探しても山荘の屋根は見えず、勘に頼って降りていくしかない。まるでランボーのようにジャングル(やぶ)を突っ走り、川にダイブし(せせらぎで尻餅をつき)、満身創痍(木の枝で引っ掻き傷)の私。やっとの思いで下山すると、目の前には車道があり、どうやら登り口と正反対の場所に降りたことだけは理解できた。車道まで1メートルの崖をジャンプ!良かった、生きている!
喉が渇いたなあ。心細いなあ。独りトボトボと車道を歩けば、向こうから山荘のバスがやってきた。救援に来てくれたんだ!と手を振れば、無情にも私を通り過ぎて走り去る。次の松茸狩りのお客を迎えにいくらしい。
山荘にたどり着いたのは集合時刻の1時間遅れ。「無事で良かった」と背中をさすってくれる友人の横で、山荘のおじさんは私が取ってきたキノコの選別を始めた。
「これはダメ、これも食えない。全部ダメだな、ガハハハ」
嘲笑されて恥ずかしいやら腹が立つやら。しょぼくれた私を見かねて、おじさんはまだオープンしていない松茸山へと案内してくれた。
「しゃがんでみなさい、あそこに生えてるだろう」
ほんの数分で、小ぶりながらも香りのいい戦利品が4~5本、ビニール袋に収まった。
すっかり気が抜けてしまい、その後の松茸のすき焼きは記憶にない。覚えているのは自宅に戻って、大切に持ち帰った戦利品を自慢した時のこと。
「なんだ、ちっちゃいなあ。仕方ない、これに混ぜて喰おう」
どこから贈られてきたのか、丹波の松茸がぎっしり入った豪勢な箱を父が見せびらかした。私が取ってきた世界一の戦利品は、たぶん松茸ご飯あたりに混じって、地味な一生を終えたと思う。
それから秋になる度、丸ごと焼いた松茸にかじりつきたくなる。それはあの日、世界一の松茸にかじりつけなかった悔しさが尾を引いているに違いない。
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